思い出などの記事一覧

ブス可愛らしいお人形?‼

クマの人形大好きな女房も買わない、とてもブス可愛らしいぬいぐるみ( *´艸`)なんですぅ~




ある商業施設のお土産屋さんで、興味を惹いたものがありました。




普段の私なら絶対買わないものでしょう。。。




ところが・・・目に飛び込んできてしまったのです。。。




昔懐かしい、おしゃべりをしていたこのお人形・・・。




そうなんです( *´艸`)




お店の方に訊けば、映画「クレムリン」の30周年の記念ぬいぐるみだとか・・・。




中でも、とても異様な表情をしていて・・・女性だったら、絶対買わないような表情をしているこのお人形。。。




ところが・・・男性には、とても人気が高いんだとか(#^^#)




そうです・・・名前は 「ギズモ」 ちゃん。。。(#^^#)




それが・・・こちら・・・(^^)/













瞳がとっても、おっかないようで魅力的。。。(^_-)-☆




一目で気に入ってしまいました( *´艸`)




・・・と言っても、気に入ったのは、女房ではなくて・・・いい歳こいた、おっさん の方なんです(*´ω`*)




・・・ということで・・・




とても気に入ったので、車にでも飾っておこうかな??(笑)( *´艸`)




この私がお人形に魅かれてしまうなんて、そうそう、ありません。




顔を見ていたら・・・「私はおっかなブサイクだけど・・・買ってちょうだいな・・・」な~~んて声が聞こえてきたような(#^^#)




女房に言わせるとゲテモノ・・・なんだとか。。。( ;∀;)













武道の集いin 御殿場の社会教育施設。。。♡

先日、押し入れを整理していたら、私の昔(と言っても、それほど昔ではないか・・・)勤めていた、社会教育施設での写真が出てきました。。。



1998年ころのお写真だろうと思いますが、大変懐かしい写真です。。。



それが、こちら(あまり綺麗な写真とはお世辞にも言えませんが・・・顔がハッキリ見えないから丁度いいか(笑))・・・












実施されたのは、12月20日以降です。



場所は、朝夕氷の張る(#^^#)御殿場ですね。



「武道の集い」と銘打った事業だったでしょうか・・・



県内の中学校から参加校を募って行われたものでした。



その中で、中学校クラスの剣道大会が行われまして・・・



その中での、優勝校です。



男女、いずれも浜松地区の学校でしたが、なかなか身も凍るような寒さの中での大会でした。



もちろん、私は撮影担当。



他にも、いろいろと役回りがありましたが・・・




あれから、現在、2019年ですから、優勝校の男女生徒たちも立派な大人になっていると思われます。



21年の歳月が流れたのですね・・・



・・・ということは、彼ら、彼女らも、既に35歳ということになりますでしょうか。



時の流れは、過ぎ去ってしまえば、実に短いものです。



それぞれ、企業で活躍したり、結婚して子どもさんなどもいたり・・・自分の夢を追いかけているかと思います。



学校を卒業して、高校、大学などを経て社会に出たりすれば、山あり、谷ありの人生を迎えられることもあるでしょう。



また、自分の描いた夢をトレースした方々もおられるでしょう。



この武道で鍛えた心と体を糧にこれからも頑張って欲しいですね( *´艸`)





自分の生き方って、人それぞれなんですが・・・



決して、ストレートに障害なく、生きておられる方ばかりではないのでしょうね。



そういう、私も、いろいろありました。



でも、いろいろと歩んできた過去があるから、今の自分がいるのですね。




過去の自分は、今の自分。。。今の自分は、未来の自分。



決して何が起こっても自暴自棄にならずに、過去を糧としより良い未来を作っていくのも自分の与えられた定めです!



決して今の自分を疎かにはしないようにしましょう( *´艸`)






良き出会い。。。♡

両方とも相田みつをさんの作品ですが、じっくりと見てゆくと感動が伝わってきますね( *´艸`)




良き出会い・・・私は既に出会っているのかも知れません。



きっと、心の奥底の潜在意識の中に隠されているのでしょう。



多分・・・自分では既に気が付いてはいることと思いますが・・・




あなたがそこにいるだけで・・・



私はあなたの存在がとても大切です。



あなたはそんなことに気が付いていらっしゃるのでしょうか。



大切な存在です・・・。



来世があったとしたら・・・もっと早く会いたかったと考えてしまいます。




そんな大切な存在で・・・いつまでも元気でいてくださいね( *´艸`)












パチンコとコンコルゲンCMの誘惑。。。♡


十何年か振りに、パチンコの機器を見ました。



久しぶりの機器はこんなに綺麗で華やかなんですね・・\(◎o◎)/!




思えば、私がピタッと遊戯機器のパチンコ台を見たのは、大府市の友達二人が静岡へ遊びに来て以来です(@^^)/



あの時までは、コンコルゲンだったのですが・・。



わざわざ、遠くから遊びに来てくれたのにも拘わらず、二人は大負け。。



そのおかげか、ツキにツキまくった私一人で、五万円の大勝に恵まれました。




それまでは、やると負け、やると負けで・・・一回当たり二万円はつぎ込んだでしょうか??



まあ・・・負けてばかりでは無かったのですが・・・今もそうだと思うのですが・・。



あの頃のパチンコはとても射幸心が強くて、まるで博打のようなものでした。



やれば必ず大枚が羽根が生えたように飛んでいってしまったのです"(-""-)"



もう、金輪際やるまいと誓ったのはその頃でした。



もちろんそれまでも大勝した経験は何度もありますので、勝敗は五分五分というところでしょうか??



疲労が重なるだけで、勝ち越すことなど出来ないこの機器にどれだけのお金を注いだことでしょう。。



今となっては、タバコと同じでピタッとやめたことが良い結果をもたらしてくれているものと信じています。




そこへ降って湧いたような、親友からの誘い・・・私はどうしようかと迷いましたが・・。



結局、遠くからの友人のために(この二人は死ぬほどパチンコが好きなのでした・・)お付き合いをするはめに・・。



その結果が意外や意外・・・勝利の女神さまは無欲の私に振り向いてくれたんですね(^^)/



友人の持っているツキ、運を全て味方にしてしまった私は、笑いが止まらない反面、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたので・・。



もちろん、豪勢な食事を奢ってあげましたが(笑)




それ以来、パチンコのお店に振り向くこともしませんでしたが・・



この、新しい台を見たら、昔の楽しかった日々が蘇ってくるような気さえしたのです。




丁度、今、CMでは「コンコルゲン」のCMが毎日流れています。




この分では、誘惑に負けてしまうかも・・。



いやいや・・・あの時誓った想いは、この先も変わることはないでしょうね。



でも・・・また、親友が遊びに来たら、誘いに乗ってしまうかも・・。



その場面を想像すると、胸が痛みます( `ー´)ノ。。




また、ツキと運を味方にしてしまい、一人勝ちをするのかも・・・( *´艸`)



その日が来ないことを、心の底から祈っているこの頃です・・\(◎o◎)/!(笑)














大切な人と交わした年賀状。。。♡

古い話で恐縮ですが・・・



画像のお猿さん、見ざる、言わざる、聞かざるを狙いにしたようですね(^_-)-☆




・・・これってとてもネガティブだと感じるのは私だけでしょうか??




何か、生きるための処世術のお手本をを前面に出しているようで。。。(悲)( ;∀;)




お猿さんは利口な動物であるので、このように表現されるようになったのでしょうね。。。




日光東照宮の彫り物はあまりに有名で、見事な彫り物であることはまちがいないのですが・・・




何か、やりきれなさを感じてしまい、あまり好きではありません(*´ω`*)


見なければ、見なかったことにすれば・・・


聞かなければ、聞かなかったことにすれば・・・


言わなければ、言わなかったことにすれば・・・




そうすれば良い時も往々にしてあるものですよね。。。



だから、、、一概にこれらの表現が間違っているとは思えないのですが・・・



・・・ん~~ん、、、あまりにネガティヴ。。。



まあ・・・そのとおりにすれば良いことも多いのかも知れないですよね(*´ω`*)



戻りますが・・・



画像の年賀状は、私の過去の上司の中で、この人しか心を捧げようと思った方はいない・・・そういう方なのです。



何十人、何百人と変わる上司の中で、本当に命を捧げよう、この人の為ならば・・・と思った方なのです。



ランクを付ける訳ではないのですが・・・やはり、過去、そういう風に感じることは多かったように感じます。。。



今でも、年に1回ではありますが、このように元気で年賀状をいただけることは嬉しいものですね( *´艸`)



年に1回の機会です。。。



ずっと、ずっと、元気でいていただきたい・・・そう願わずにはいられないです( *´艸`)










爽やかな秋の季節ですね。。。
秋雨前線の影響で雨が続いて被災地も大変だとは思います。
心からお見舞い申し上げます。。。





モータリゼーション黎明期のナンバーワンです。。。♡

なつかしの軽自動車シリーズ。。。


お気に入りのスバル360です。


東京モーターショーの展示車ではないですよ(笑)。


某メーカーの傑作ミニチュアカーです。



本物だと思ったでしょ?(笑)


ミニチュアとはいっても、その出来は、もうほとんど本物に近いです。


ただ、動かないだけ・・・(笑)。



この軽自動車は、昭和30年代に自動車の普及をはかる国民車として登場しました。


国民車とは言っても、その頃のサラリーマンではチョットやソットでは買えない額でした。


当時の値段で30ウン万円もしました。


その頃は、スズキフロンテ360、ホンダN360、ダイハツフェローなどがしのぎを削っていたものです。


スバル360は、フォルクスワーゲンビートルに良く似せて出来ていて、愛称はテントウムシでした。


ドアは前開きのユニークな造りです。


一見不便そうな乗り入れかと思いきや、なかなか出入りが楽しかったのを覚えています。


その後、ヤングSS、フロンテSS、ホンダN3(水冷)、フェローマックスなどの登場でスバルの牙城も崩れてゆきました。


・・・が、その血統は今のR2、R1に引き継がれ、とても軽自動車とは思えない走りになっています。


もちろん、その形状の一部も懐かしさとともに、先端を行くデザインとして、軽自動車の中ではとてもユニークで新鮮なものとなっています。


オールドファンとしては、是非、昔の形状(リアエンジン、リアドライブ)で復活させていただきたいというのがその願いですね。。(笑)









景勝の地、静岡。。。♡

用事を済ませた後、久しぶりに清水港を尋ねてみた。




やっぱり海はいい。




ゆったりとした波の感じ、深さを表わす海水の色。





戸肥へ向かう連絡船が着いた。




戸肥港からの乗船客を降ろすと同時に、清水港からのお客を乗せて再び戸肥港へ向かう。




白波をかき分けて発進する。




近くにはJAPAN COAST GURDの文字を船体につけた海上保安部の船が巡視から戻って接岸する。





今日も日本の海を守っての帰還だろうか。





長い真っ白な船体は、日本の最前線で働くにふさわしい。





感謝の気持ちをもって、暖かく迎えてあげたい気持ちになった。






冬に撮った写真ではあるが・・・・・・




雲も目立ったがおおむね快晴で遠くに雪を纏った富士山が見える。





8合目あたりからの雪だろうか、うっすらとしている。




やはり清水港には様々な働く船と富士山が良く似合う。




穏やかなゆったりとした波。




香ってくる潮のにおい。




対岸には造船の基地が見える。




時間がゆったりと流れているような錯覚さえ覚える。




我が奥様との初デートの帰りもやはり清水港へ立ち寄った思い出がある。




海は全てを包んでくれるような感じがする。




雄雄しい山々に比べて、母なる優しささえ感じる。




静岡の地にこんな美しい港があって良かったとつくづく感じる。




マグロの水揚げ日本一。。。




かつて、私の小学校の修学旅行の地は、静岡市役所、日本平、久能山東照宮、清水港だった。




笑われるかも知れないが、山間部から見れば、静岡、清水は大都会だったのである。




日本平も、今の夢テラスのところに、プラネタリウムがあって、それはそれは賑やかだった。




今は当時の面影は感じられない、、、と思いきや、夢テラスからの眺望に数十万人が訪れている。




素晴らしいことだ。。。




昔も憬れの地、今も違った意味で憬れの地ではあるなあ。。。




今、山あり、海あり、水の美味しい静岡の地に住めることの幸せをひしひしと感じている。















きのみやさん。。。♡

地球温暖化が進みつつある今日であるが、今年の夏の異常気象は長かった、いや、ながくなるのであろうね。。



夏が終われば(笑) 私の大好きな秋、冬の到来である。



夏や秋といえば、そこかしこの神社で祭典が行われていた。



夏の祭礼と違って、秋の祭礼もまた嬉しいものであった。



幼いころ、故郷の唐渡神社で毎年のように祭礼が行われた。



祭囃子とたくさんの出店で賑わったものである。



祭礼の行事でお神楽さんが舞われる。



今となっては優しそうに見える神楽の頭であるが、幼かった当時は、魔物か妖怪のように見えた。



特に舞の中で口をパクパクさせ、いきなりこちらに近づく場面があると思わず泣き出してしまったものである。



ちなみに神楽には雄と雌があるというのを昔、聞いたことがある。



故郷の唐渡神社の神楽は雌であるということである。



少し離れた集落には、やはり雄の神楽がいた。



とても興味深かったのを覚えている。






神社ということでは忘れられないことがある。



いや、すべきではないことかも知れないが嬉しいことだったので敢えて投稿させていただきたい。



熱海の来宮神社ではなく、東伊豆河津町にある、杉鉾別命神社(旧社名:木野宮明神)通称、きのみやさん(木宮神社)』。



一生に一度だけ命を救ってくださるというのはあまり知られていないのではないかと思う。




今をさかのぼる事、20数年前の年末のことであった。



私の母は私の結婚式を控えた60才の年末に病で生死の境をさまよった。



病床の母から聞こえて来るのはうわ言であった。



私のことばかり気遣ってくれているないようばかりであった。



私はいたたまれず、この『一生に一 度だけ命を救ってくださる』という伊豆の河津にある神社のことを思い出し、徹夜で車をとばして参拝した。



故郷から河津までは8時間余り。



天城の道路は凍結し、脇には雪があった。



そんなことは気にも掛けず に車をとばした。



やっと夜明け方到着。



願掛けで心を込めて参拝した。



もうその時は必死の思いであった。



結果、口伝えのとおりに、想いが神様に通じたのか、母は直後に回復し、おまけに正月には、なすびが畑にたくさんなってい る夢を見たとのことである。



祈りは通じたのだ。



信ずる者は救われるというのは本当のことだと、この時確信した。



おかげで今は92才を迎えようとしている・・ありがたいことである。



ちなみに、結果として、孫は10人生まれた。。



たくさんのなすびというのはこの孫たちのことであったのであろうか( *´艸`)



身体は老齢で弱ってきて、あちこちと怪我はすることはある が、健在である。




更に、父は70才で大腸がんという大病を患い生死の境をさまよった。



手術が必要であった。



例え手術をしても助からないかも知れない。



再び、一生一度のお願いで、同神社に参拝した。



2セ ンチもあった癌細胞は摘出され、12時間に及ぶ手術は一応成功した。



後日談であるが、手術の際、必要な神経をきってしまったということでて、介護が必要となったが、無事、生命は助かった。



今年、無事に、88歳の米寿を迎え、89歳で他界したが、生前は元気であった。



この、神社、通称 『きのみやさん』 の境内には、樹齢何千年にもなるそれはそれは見事な楠が何本かあった。



見るからに霊験あらたかであった。



もちろん、お礼参りにも出掛けた。



それほど大きな神社で はなかったが、私にとっては、正に神様そのものであった。



私も将来、命の危機が迫った際には 『きのみやさん』 に願掛け参拝し、一生に一度だけでよいから命を救っていただきたいと願っている。



この神社の神力もさることながら、信ずる者は救われるのである。
















夢への想い。。。♡

幼いころからの自分の夢・・・




こんな風に空を飛びたかった・・・




ヘルメットをつけて、あの自由な大空を飛び回り、遥か下界を俯瞰する。




現実が解っていないあの頃・・・そんな夢を叶えてくれたのは漫画でしかなかった。




写真などなくても、漫画を見ていればそれでじゅうぶんだったのである・・・。




夢をよく見た・・・空を飛びまわっている夢を・・・




ある時は故郷の空を・・・




また、ある時は自分の身体だけで・・・




それは、墜ちそうで墜ちない・・・僅か1メートルの高さを手を広げて、どこか自然の多いところを飛行している夢・・・。




それは、何を意味していたのだろう。




戦争漫画の読み過ぎだったのだろうか。




「ゼロ戦太郎」・・・そんなタイトルだったような気がしたが・・・。




夢は、そのまた夢。。。




容易には実現しないが、実現するそのプロセスを考えなかったことがそのげんいんだったのであろう。




今も、昔も、空港から飛び立つ飛行機に憧れている。




特に夜間飛行で空港から離陸する飛行機・・・。




ああ・・・あの空の向こうには頭に浮かぶ異国の地が待っている・・・




図らずも・・・ラジオから聞こえてくる、城達也さんの「ジェットストリーム」の調べとともに心地よい世界に入れたこともあった・・・




今でも叶える可能性は、果たしてあるのだろうか??




昔の想いは、空港に行くことで・・・




そして・・・異国の地、米国の地を踏むことで何とか達成できたのであろうか・・・。





夢はいつでも可能性を秘めている・・・



願えばいつか叶う日がやってくる・・・。



念ずれば易し・・・夢の継続を想い、計画をもち、少しづつ現実の想いを踏んでゆく・・・一番の近道なのかも知れない。













異国での生活に学ぶ







アメリカ合衆国ネブラスカ州立大学オマハ校のワンカット・・・




懐かしいなあ・・・




公務出張で行った初めての異国の地である




ミネアポリスを経由地に14時間の行程だった




経由地とはいえ初めてアメリカの大地に下りたときには感動した




当然のことながら、自分の周囲は全部外国人であり、自分はマイノリティなのである




こんな思いを外国から日本に来ている方々は感じているんだろうなあと素朴に感じた




アメリカの大学は学生を大切にしていた




全てが学生のためにあるように配慮が行き届いていた




誰でもが入れる(高校での標準テストはあるが、入学試験はない)が、それなりの成績を残さないと卒業は出来ない仕組みである




当然、多くの学生がドロップアウトしていくんだろうなあ・・・




学生食堂では学生が本当によく勉強していた




授業でもとても熱心だった




日本の学生とは大違い・・・もちろん、日本でも真面目な学生も多いが・・・




留学生からよく聴いた話だが・・・




日本の学生は、質問もしないし、平気で寝ている・・・あんなんで卒業させてくれるのか?・・・





アメリカの現実を目の当たりにし、日本はこれでいいのか、とても不安に感じたものである





異国での生活に学ぶ異国での生活に学ぶ




およそ1ヶ月の間、様々なプログラムが用意されていた




これらのプログラムを設定せっていしてくださった先方の職員の方々とボランティアの学生ににとても感謝している




もう一つ確認したい思いがあった




一人でも異国の地で生活できるか・・・これが自分の個人的な思いだった




そんな憂いもマイノリティとなる日本人の思いも吹っ飛んだ思いがした




アメリカ人は子供への躾が行き届き、かつ他人に対してはとても親切で、礼儀を重んじていた




英語はと言えば、中学英語で十分意思疎通は出来た




牧場での生活のプログラムの中で、夜外に出て星を眺めたことがあった




この眺めている星を、日本の家族も眺めていると考えたとき、台地が繋がっている不思議さを感じた




家族に電話をしてみる・・・昼、夜が逆転している不思議さも感じた




まさに地球は丸いんだなあ・・・





一生のうちで出来るかどうかの経験が出来た自分はとても幸せ者だと思う








心の師「伝説のドアマン」名田正敏先生。。。♡

今となっては昔のことではありますが・・・


2009年8月25日土曜日、私の青年期からの憧れの人に会えました。


藤枝市立高洲中学校で開かれた、『日本を美しくす る会』静岡掃除に学ぶ会が主催する講演会でのこと・・・。


その人とは『伝説のドアマン』名田正敏先生でした。


演題は『お客様の心の絆を求めて』でありました。



名田正敏先生は昭和6年生まれ、山口県に生まれました。


29歳の時に故郷の職を廃業し、大阪に職を求めました。


倉庫業の作業員を経てホテル業界に34歳で転職しました。


この方の仕事への執念はそれはそれは素晴らしいものがありました。


私が社会人となったころには、ホテル業界では、ドアマンとして名高いものと聞いておりました。


当時私は他の職業に就いていたとはいえ、ホテルマンとして心の底からの憧れがありありました。


もしホテルマ ンになれたら、心からお客様をもてなしたい、もてなす仕事をしたいと常々思っていました。


そのあこ憧れのがれの人に生で会えることができる。


心は躍るばかりでした。


講演会場となった体育館で私は椅子に腰掛けて,講演が始まるのを待っていたとき、なんと写真でしか見たことのない方が私の横を通りす
ぎるところでした。


私は思わず「先生」と呼んでしまったのです。


先生はいやな顔一つすることなく私に挨拶をしてくださいました。


そして近くの人と会話を交わした後、また私の前に来てくださったのです。


私は思わず「あこがれの先生に会えて感激です。

「握手してください。」ともう、興奮してしまい握手を求めました。


再び先生はニコニコしながら握手をしてくださったのです。

いや、もうその時の気持ちは天にも舞い上がりそうでした。


名田正敏先生は、34歳でホテルマンとして採用されたのですが、同年代のホテルマンと比較して16年の隔たりがありました。


採用されたものの今後この隔たりをどのように克服していけばよいのか、 相当悩んだそうです。


最初の担当は配車係だったそうです。


配車係といえばホテルの花形です。


同年代の人は外国語も達者、スタイルも良い人が選ばれるのが通常です。


名田さんは背も低く言葉もなまりがあったため、相当悩みました。


しかし、そのとき先輩から「人々との関わりが大事な部署だか ら地道に努力してみたらどうか。」と諭されたそうです。


また、祖父からの「その仕事をさせたら、あの人の右に出るものはいないという存在になりなさい」という言葉を思い出しながら、勤務時間外の
日曜日などに、官公庁などへ出向いてゆき、駐車場から出てくる車の運転手、幹部等の顧客、ナンバー、車種など2000組(8000名)の名前と車種を覚えたそうです。


そうしてホテルから出てくるお客様と車を混雑する正面玄関で巧みにさばく『伝説のドアマン』と呼ばれたそうです。


そして調理場に異動してからは、お客様が残した食事から、その人の好みを全て把握し、顧客から大変可愛がられ、『接客の神様』と言われたほどだといいます。


その後、ロイヤルホテル・ホテルプラザから、プラザオーサカ取 締役総支配人に転身いたしました。


その後、新神戸オリエンタルホテルを経てウェスティンホテル大阪顧客部長で退職されました。


その後接客法を学びあう『名声会』をつくり、平成14年まで名誉会長を務めたということです。



この方の何が凄いかといえば、悩む都度、いい上司に恵まれたことはもちろんですが・・・。


学歴をものともせず、この仕事については自分には何が足りないのだろう、この仕事では何が必要かということを常に考え、実践したことにあります。


もちろん、そのような努力の人ですから、役職があがればいろいろなことがあったことでしょう。


自らがその盾となり、誠意、誠実をもって人にあたっ たことだと感じています。


名田先生には、他にもいろいろなエピソードがあります。


それら全てに対し、決してひるむことなく、責任感を持ってことにあたり、そして信用を勝ち得たところにあります。


そして、それらを決してひけらかすことなく、どの人にも笑顔で接する、正に真の『もてなしの心を』実践した数少ない人物なのです。


NHKTVの『どんど晴れ』に出てきたように(ちょっと古い話ですが・・・)くるように『来者如帰』(くるものかえるがごとし)に表されるように、真のホスピタリティを実践した名田先生はホテル業界のみならず、日本のサービス業界その他において、正に伝説の人になりうる人物でしょう。



『成せば成る』ということを、名田先生の講演から学びました。



努力し、またその努力から生まれる運を持てば、人間なんでも出来るということを教わりました。


これはどの仕事においても言えることです。


一つの仕事、どんな小さな仕事でもいいのです。


プロフェッショナルの意識を持って事に当たるということが大事です。


それには、考え、工夫し、実践する。


それが、夢を掴む道になるのではないでしょうか。


以上、過去の経験からお話をさせていただきました。。。



もちろん、今でも、私の「心の師」でもあります(*´ω`*)














振り返り、振り返り・・・そんな時期でもあるだろうな。。。♡

時代も令和になり、ため息というか、反面、良い時代に生きているというか、そんな感慨にふけることも多い。




いつの間にかに年を重ねるうちに、そろそろ後ろを振り返る必要が出てくるのだろうか。




自分の人生は間違っていなかったのだろうか・・・。





県内西部の山村地区から出て県内の東部、西部、中部を渡り歩いた。




高度成長の黎明期に生まれ、子どもの頃から3人の兄妹の真ん中として、両親の愛情は長男、長女にその旨みを奪われ・・・




まあ、それなりの愛情は受けて育った・・・。





兄弟の中では一番厳しく育てられ、家のありとあらゆる手伝いを幼いうちから命じられ、幼少期を過ごした。




幼いながらも、心の葛藤はあっただろうか・・・。




いわゆる「我慢」をしながら育ってきた・・・と思っている。





それはそれで、両親からの愛情表現だったのかも知れない・・・。




だから、「厳しさ」が即虐げられている、と思ったことは一度もなかった・・・と記憶している。




あのころの厳しさがあったからこそ、小学校の時には社会人の方々と対等に接していただいた、と記憶している。





仕事に対する責任感は、そのころから身につき始めたのかも知れない。




学業においても、学年で一番の小ささでありながら、学年でトップクラスを維持していたという自負がある。





身体が小さいこと、感受性が豊かであったこともあって、いじめの対象にもあった。




しかし、その頃からも、人と戦う術を心得ていて、グループでのいじめには、徹底的にグループの中心人物に狙いを定め、思い切り対抗していった。




結果、あいつにはいじめは効かないということが分かったのだろう、いじめは成長するに従って減っていった。




自分には学問があるとの自負からも、自分の自信を深めていったのを記憶している。




その頃から、正義感が培われ、今の自分の性格が温厚で思いやりのある反面、身に火の粉が降りかかると対抗心を露わにするようになった。





今では、そんな性格も影を潜めたというのか、人生の機微を知り少しはまるくなったように思う・・・。




だが、正義感だけは昔のままだ。




理不尽だと感じた場合などは、徹底的に人に向かってゆく・・・。




当然、誤解も生むのかと言われればそんなことはないのである。




自分が中心だとは思わないし、周囲の方々、出会えた人々の助けにより今の自分があると思っている。




とても、感謝してもしきれない方々も大勢いるし、その方々への恩も返さなければと思っているこの頃である。




こんな責任感が強く、正義感も飛びぬけて強い自分であるから、仕事の上でも理不尽なことに対しては、上司などに対しても徹底的に論理でぶつかり、自分の「道」の方向性も探った。




そんな自分であるから、損をしたことも多い。




しかし、周りからの人望は厚く、ありがたいことに支持してくれている方々も多いと思っている。





一方、女性に対しては、自分の想いが届かなかったことも山ほどある。




古い考え方の自分は、男は外で7人の敵を相手にし、妻子を養うことが自分の務めであると信じて今まで生きてきた。




その考え方は、今では社会的につうじないことでもあろうか・・・。




しかし、自分の考え方はこれで良かったのだと今でも思っている。




自分を一生の伴侶として選んでくれた妻にも、心の底から感謝している。




感謝してもしきれないと言った方が当たっているだろうか・・・。




よくぞ、今まで、4人の子供を育て、家を建てやってこれたと思っている。





それもこれも妻の協力あってのことだろう・・・。




山あり、谷ありの人生で、今でも谷からなかなか抜け出せないでいる自分ではあるが・・・。




これからも、妻並びに大きく成長した子ども達の協力を得て、自分なりの人生を送りたいと考えている。




いや・・・まだ、男子たるものの長男君を一人前にする責任が残っている。




それが達成されれば、自分はいつでもお迎えが来てくれて構わないと思っている。




自分の半世紀はこれでは言い尽くしがたいがこれだけは言える。




妻の協力、子どもからのさりげなく響くアドバイス、また、周囲の方々、直接接して陰ながら力をいただけている方々、また、ブログ等でも励ましの言葉をいただける方々からの応援のおかげであると思っている。




そして、この世に生を授けてくれた両親に一番の感謝です。

また今年、年を重ねます。




こんな自分についてきてくれた妻にも深い感謝の気持ちを表したいと思います。



こんな自分でありますが、これからも本来の自分というものを汚すことなく、周囲の方々のお力をいただきながら、一生を貫きたいと考えています(^_-)-☆












私の「永遠の冬ソナ物語」

私の「永遠の冬ソナ物語」より・・・




あれから十数年・・




今でも、私の記憶の片隅に残る名場面の数々。。




「冬のソナタ」・・・




夢中になったあの頃が懐かしい。。




今でも大好きなチェ・ジュウさんとペ・ヨンジュンさん。。




どうされているのでしょうか??




とても幸せに過ごされているのでしょうか??




お二人はうにに結婚され、特にペ・ヨンジュンさんは、結婚の当時、世間の羨望の的でした。




男優さんと女優さんの活動だと言ってしまえばそれまでの話なんですが、、、




私には今でも、日本放映版の印象深いあのラストシーン(韓国版と違うらしい・・・)(^^)/



私・・・涙しました・・♡




俳優さんって、とても羨ましいお仕事なんですね・・・




あれほどまでに美しい物語を作っておきながら・・・




あのイメージを演出しておきながら、現実の世界と物語の世界を行ったり来たりできる・・・




とても羨ましいお仕事・・・




脳裏に焼き付いたあの素晴らしい名シーンの数々。。




永遠に大切にしておきたいと思います♡♡♡





・・・ とは言ってもあのあとの現実を見たいので、冒頭に画像をアップしてしまいました(*´ω`*)




ペ・ヨンジュンさんはパスポート入れ・・・




そして、チェ・ジュウさんはクリアファイルの画からです(#^^#)




相当な思い入れを持っているとお思いでしょうね・・・




そうなんです・・・これさえあれば、あとは何もいりません♡

・・・このお二人に関してはね・・・(#^^#)♡♡♡














早起きは1ペニー(セント)の得。。。♡

過日の早朝の風景・・・。




たまには早起きして辺りを散歩するのもいいものだ。




見たこともなかった風景が目に飛び込んでくる。




家の中にいたのでは絶対に見ることの出来ない早朝の風景。




昼間とは違った風景がやけに新鮮にも感じるのである。




「早起きは三文の徳」・・・この言葉が頭に浮かんでくる。




・・・と思っていると、本当に1円玉を拾った。




たかが一円、されど一円・・・1円がなくても買えないものがたくさんある。




何か得した気分である。






1円玉などを拾うと、米国での経験が頭の中に蘇ってくる。




何でも経験かな?? 宿舎の周辺を、何でも見てやろう精神で朝一番で散策した。




日本でいうところの一円と同等の価値である、1ペニー(1セント銅貨)がいたるところに落ちていた。




米国ではこれほど、最下位単位の硬貨を大事にしないものなのか。




歩けば歩くほど、1ペニーが集まってくる。




面白いものだ・・・。




ちなみに、米国では朝1番で拾った1ペニーは、とても幸運なことと聞いている。




とても運がいいことなのである。


 

日本では硬貨や紙幣を加工すると罰せられるが、米国では潰してお土産として、平気で売られている。




米国ではお金を加工しても罰則がないのだろうか・・・などと関係もないことを感じてしまった経験がある。





話がとんでしまったが、早起きして損をすることはない。




これからは、このような機会をどんどん増やしていきたいと思う。




寒すぎるけどもね・・・( *´艸`)




運動をしても凹みを見せない、腹の出っ張りのためにも(*´ω`*)












青春の日~想い彼方に~

日本の鉄道技術の粋を集めた夢の超特急のぞみ号。



ひかり号を更に進化させた流麗なフォルム。。



まるであひるのくちばしのようである。



駅を通過する姿は白鳥のはばたきのように流麗であり、空を飛ぶジェット機のようでもある。



日本人のものづくりへの姿勢は昔と変わらない。



実に誇らしい。



この走行する姿を見ると、冬の定番ソングを思い起こす。



今年も12月は遥か先にはあるが・・・



「きっと君は来ない 一人だけのクリスマスイヴ サイレントナイト ホーリーナイト・・・・・♪」



何とも夢を誘ってくれる乗り物である。



また、これから青年期への旅立ちという郷愁を誘ってもくれる。




             22才の別れ


   あなたに「さようなら」って言えるのは今日だけ
   明日になってまたあなたの暖かい手に触れたら
   きっと言えなくなってしまう
   そんな気がして・・・・・
   私には鏡に映ったあなたの姿を見つけられずに
   私の目の前にあった幸せにすがりついてしまった


   私の誕生日に22本のローソクをたて
   ひとつひとつがみんな君の人生だねって言って
   17本目からはいっしょに火をつけたのが
   きのうのことのように・・・・・
   今はただ5年の月日が永すぎた春と言えるだけです
   あなたの知らないところへ嫁いでゆく私にとって
   ウウウ・・・・・・・・・・

   ひとつだけこんな私のわがまま聞いてくれるなら
   あなたはあなたのままで
   変わらずにいてください そのままで

                (作詞作曲:伊勢正三  歌:風)




数年ぶりの再会はは突然やってきた。



彼女は手紙を私にくれた。



「あなたは私にとって、特別な存在です。でも今私には、そういうお付き合いをしている人がいるの・・・」



私は彼女に手紙を出した。



「そんなことはどうだっていいじゃないか。君への気持ちは変わらない、彼に殴られてもいいし、土下座でもなんでもやる・・・」



しばらくの日が経過して、再び手紙が私の元に届いた。



「あなたの真摯な手紙は彼に見せたわ。彼はこう言ったの。お前を幸せにしなきゃあなって・・・」



再び、彼女からの最後の手紙が私の手元へ。



「あなたはわたしにとってこれからも特別な存在です。私は嫁いでゆくけど一生この気持ちは忘れないでしょう・・・」



彼女の心には私の存在がしっかりと刻み込まれていたのである。



茫然自失。タイムラグがなんと恨めしかったことか・・・。



所詮、彼女と私の間には赤い糸での繋がりはなかった。



縁が無かっただけのことであった。。



それから数年、赤い糸は突然やってきた。



私の今があるのもこの赤い糸のおかげ・・・。



若き日の甘く切ない出会いと別れ。



運命は思うように事を運んでくれなかった。



しかし、時はその甘い切ない思い出をちゃんと心の片隅にしまってくれていた。



これが人生なのかも知れない。



私は・・・もっと妻に感謝すべきなのだろう・・・。



今、こうして安穏としていられるのも、全て彼女のおかげなのだから。。



もちろん・・妻のひた向きな努力、そして、お互いの忍耐もの賜物なのだから。。。











河崎愛美さんの著書「あなたへ」。。。♡

過日、古本屋さんに行って、一冊の本に出合った。





題名は「あなたへ」・・





著者は、河崎愛美さん というらしい。





本の題名に惹かれ、思わず手に取って読んでしまった。





何々??中学生の時にこの本を書いて、賞を取っているらしい・・・。





中身を立ち読み。。(#^^#)





冒頭から、どんどん引き込まれてしまった。





中学生とは思えない、ストレートな表現・・。





本当に中学生がこんな文章を書けるのだろうか??





そこには理路整然とされた、語彙の数々が並んでいた。





もちろん、純愛小説なのである。





特別に難しい語彙は用いてはいないのだが・・





ストーリーの展開が素晴らしくて、奥深いのである。





こんな文章を書こうと思っても、なかなか書けないであろうね( *´艸`)





ただ、知りたいことは・・・





この純愛小説が自分の経験によるものであって欲しいと思うばかりなのである(*´ω`*)





河崎愛美さんの著書は、後にも先にも、まだこの一冊だけだそうだ。





次に書いていただけるのは、いつになるのだろうか・・・





大人になった河崎さんの次の本を是非読んでみたいと思った♡













想いでの喫茶店。。。♡

三寒四温と言うにはわりかしきつい気温が昨今は続いていますね( *´艸`)





でも・・・もう少し暖かくなればこんな画像も頭に浮かんできますね(*´ω`*)





大学の入学試験も今がたけなわ・・・。





これからの日本社会を背負ってゆく若者がやがて続々と将来の基盤を築いてゆきます(^_-)-☆





期待したいものです。





季節の変わり目には、私はこんな素敵な飲み物が欲しくなりますね。。。( *´艸`)





写真は、もう既に廃業してしまった喫茶店での思い出の画像です。。。(#^.^#)















素敵な私の癒しの喫茶店でしたが。。。( ;∀;)





私にとっては・・・大切な思い出が♡♡♡





まだまだ、このお店に適う “癒しの場所” が見つかっていないのが、現状(*´ω`*)





しかも、中心街のすぐそばには。。。( `ー´)ノ





RILAX AND ENJOY の場所は、まだまだ、時間がかかりそうですね。





素敵な音楽が流れ、人の流れを観察、ウォッチング出来る、素敵な場所。





なかなか難しいや。(´・ω・`)





でも、、、幾つかのお店を見つけました。。。





小さいながらも素敵な憩いの空間。





コーヒー一杯で、何時間もボーッとしていたいだすなぁ~~( *´艸`)




遡ってみれば、何か感じる事も。。( `ー´)ノ

仕事っていうのは、今までの経験の中でしか話せないし、それ以外は想像でしか言えないことばかりなのだと思うのだが・・・。





多分に、社会に役立つための、自分にとっては面倒なことをその対価を得てするものだと思っている。





でも、それだけではないはずだ。





間接的にでも人の人生を左右させるようなこともアドバイスして納得していただくようなこともある。





その瞬間、瞬間で、手応えが感じられればこれほどうれしいことはないはずである。





また、それ以外でも生きている実感を感じられればそれに越したことはない。





自分の好きな道で。もがきながら果実を得る努力をされている方々が大勢いるはずだ。





実に羨ましい、、、ということも言えるのだが、実際想像を絶するような苦労もしていることであろうね。





自分の経験したかったこと。。。





営業部門でどっぷりと浸かって失敗、成功の喜びをしたかったこと。





他には、放送業界、芸能業界で縁の下の力持ちでもいいから、携わってみたかったなあ、、、と、しばしば感じることも多い。





特に若い時代にはね。





でも・・・まだ、その可能性はある??





いやいや、その道に従事されている方には失礼になるかな??





でも、若い方には、まだまだ無限の可能性がいっぱいだ。。。





頑張れ若者よ。





頑張れ人生経験者よ。





まだまだ、先は長いのかも知れないよ(笑)




そうだよね。。。











堕ちた深紅の空。。。♡

君への熱い想いを 綴った手紙



すべての気持ちを 込めた手紙




あの日もそうだった 紅い 紅い 夕焼けの空



そんな空の下で 君への 初めての告白をした




追いかけてくる 君の熱い吐息



パタパタという 速足 君の足音




そんな熱さとは 裏腹に



冷たい 君からの 想い




がっかりした というより 自分の中で 何かが崩れた



私の想いは 何故 伝わらなかったのか




渾身の気持ちを 綴った 熱い手紙



返された 君の気持ちは 




あの 深紅の夕焼けが 落ちて



迎えた 空の暗闇に 似ていた




やがて 冷たい星々の煌めき



あの日の気持ちは そんな煌めきも 輝きを失っていた









ある会合の席で・・・( ;∀;)

過去の、あるPTAの女性役員会の会合での一言・・・





やり手なのかどうかはハッキリとしませんが・・・





こんな方も中にはいるようですね。





自己顕示欲がとても強い人、、、または人の神経を逆なでするような人。。。






話が弾んできたらしく・・・





「それじゃあ、〇〇さんあの資料の件、家へファックスしておいてくださいよ」





『あのう・・・私の家にはファックスが無いんですけど・・・』





「・・・・・・・・・・・・・!使えねぇなあ!!」\(◎o◎)/!






え~~~~~~~~~っ! 普通、こんな言葉使うんでしょうか??今では??(--〆)・・・・・・・・・!













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