家族の記事一覧

何にもない日、おめでとう~~~~(*´ω`*)

最近、開店したばかりの花屋さん。
 


小さいお店だけれど、夢が詰まっていて、とても素敵だったのです(@@;)。。



興味を持って飛び込んだところ、とても素敵な花々に出会いました。



特に何の記念日ではなかったのですが・・・



かみさんの喜ぶ顔を想像して購入を決めました。




決して華々しくは無いのです。。



一応、大輪の桃のような薔薇、想像したよりはちょっと高かったのですが、一輪・・。



そして、可愛い(小さい割には結構しますが・・・)薔薇が3輪・・。



最後に、パープルのカーネーションを3輪・・。



以上をプレゼント用に包装していただきましたヽ(^o^)丿




そして、家に帰りかみさんの喜ぶ顔を期待していたところ・・・




何これ?どうしたの??勿体ない事をして !!\(◎o◎)/!・・・だって・・・




くっそ~~!二度と花束なんか買うか~~~っ!! (T_T)/~~~(@@;)。。











今年こそはサプライズでも。。。♡

早くも12月になってしまいましたね。。。





今年も師匠が走りまくるのでしょうね(#^^#)





数年前まで、クリスマスには、妻君にサプライズのプレゼントをしていたのですが・・・





経済的な事情も重なり(笑) ここのところは、とんと・・・。(笑)





今年は何とか、無理をしてでも・・・どうかな??





でも、でも、素敵なラッピングに出会えるかと思うと、胸がワクワクしますね~~( *´艸`)





以前よりも、もっと素敵なものに出会えるでしょうか??(*´ω`*)





ラッピングだけでも大きな価値があると思うのですが・・・





それはご店主様のセンスの良さ・・・とてもドキドキしてきますね~~





その日を想像してジッと研究してみたいと思います。





大切な人への贈り物ですからね( *´艸`)












愛を積む人生を送られたら・・・♡

愛を積む人・・・昨年終了した映画であるが、原作は「石を積む人」だったであろうか・・・ちょっと記憶にはっきりしないところがある(笑)・・・。





愛する配偶者とともに北海道のある田舎に家を建てたが、奥様に先立たれることになったが、奥様は生前から病気を押していくつもの手紙を託していた。





それは後で知ることになるのであるが・・・約束通り佐藤浩市扮する旦那様は整然と同じく独り身となった後にも、黙々と石を積み上げていた。





それは、奥様との約束の愛を積むことになるのであるが・・・。





果たして、私はもしも万が一相方を先に失った場合、生前の約束を果たすことができるのであろうか?とふと想像してしまった。





きっと、会い方を失った小鳥のつがいのように、後を追って死んでしまうことになってしまうのではないか・・・と。





しかし、実際には愛と責任感の強い私の事である。





事を成し遂げるに違いないわなぁ~~。





一つひとつが相方からいただいた愛に違いない。





映画と同じ境遇だったとして、、、今度は私が愛を返す番であることに変わりはないと思うのである。





家の周りに、毎日、毎日一つひとつを積み上げることが、自分を支えてくれた妻への恩返しでもあるのかもしれないから。





きっと一つひとつの石には楽しいことや、苦しかったこと、哀しかったことなどなど、いろいろな想いが去来するのではないのかな・・・





夫婦とはそういうものであるのだとも思う。






それでは、私と相方の立場だったらどういうことになってほしいのかとも考えてみた。





きっと相方は強く生きてゆくのであろうな。





そして、今生きている私はそんな心からお世話になった相方を解放してあげようとも思う。





残りの人生を自由に生きて欲しいと思っている。





私のことは心の片隅にでも置いておいてもいいから、老いらくの恋でもいい。





自分の人生を全うしてほしいのである。





環境の違う二人が一緒になって、ともに思いやり、将来の夢をそれぞれと思っているであろう。





私のことなど気にせずに、躊躇せずに自分のやりたいことを全うしてほしいのだ。





いろいろと人によって考え方はあるであろう。





こうしないといけない、相方の人生を縛ってはいけない。





相方がその先に送る人生が自分の人生と考えたい・・・そんな風に考えている。












我が子の成長とその想い。。。♡

我が子の成長というものはとてもいいものだ。





知らず知らずのうちに成長している。





まして同性となればお互い話さずとも心の内を慮っているものだ。





でも、本当のことを腹を割って話したいと思っている。





いつまでも我が子であるとの証しが欲しいと願っている。





そんなことを知ってか知らずか、我が子は何も言わずとも成長してゆくものである。





まして家から出るとなればなおさらである。何も言わずとも親の心を押し測っているというようなものだ。





よくぞここまで成長してくれたとおもうものである。





自分の手から離れてゆく。





それこそ成長の証しである。寂しい気持ちもあるが、いずれは手を離れて飛翔して欲しいと願う。





そんな気持ちが嬉しくもあり、これからの船出に無事に出航してくれと願う。





親というものはいつまで経っても我が子であることに変わりはない。





そこがまた誇らしい..










.

回想♡ いつかのサンタクロースは何処に??。。。♡

少し気が早いような気がしますが・・・来月、そう、1か月後には、待ちに待ったクリスマスイヴを迎えることになるわけですね~( *´艸`)





昔のこと、、、子ども達が小さなころには、おもちゃ屋さんで買ってきたサンタの服に付け髭などを工夫したものでした(笑)





そして、子ども達が寝静まった頃に、むくっと起き出して、かみさんと二人で押し入れにかねてよりしまっておいた、プレゼントを枕元に用意したものです。





ここで、問題が起きたことがありました。





寝たと思っていた子ども達が、真っ暗な中を置きだし、ドアを空けて「何か赤い服を着た大人の人が出入りしていたよ。」ってね。





いひぃ~~っ‼ これは今年は失敗したか??(#^^#)





でも・・・プレゼントには気づいてないようだ、、、シメシメ‼(^。^)y-.。o○





な~~んてね。。。子ども達には純粋な気持ちを出来る限りの年までは持っていてもらわないとね‼ ・・・というのが偽らざるきもちでしたね(#^^#)





それがいつの間にか、ある年には「この袋の包み紙、あそこのオモチャ屋さんと同じだ~~っ‼」って、夢が現実に近くなる日が早いな(笑) と感じたものでした。





それから、幾年か経ったときには、もうすでにプレゼントなどの年ではあるまいに、今年はサンタが私には来ないね・・・なんて、うまく親の心を見透かすように、そこだけ強調したりして。





段々とコマっしゃくれたようなことを言いだすんですね。





あれには参りましたね。。。こずるくなってきたなぁ~~、なんてね(#^^#)





そして、いい年になっていまでも・・・・ポツンと・・・





サンタはいるはずなのにね~~って、こちらをニヤリとしえ見る訳ですよ~~(#^^#)





まあ、、、現実を知ったころから、子どもというのは、大人と同じ夢をみないような大人になってゆくんですね。。。





私は今でもサンタはいるんじゃないかな??な~んて思ってはいるのですが。。。(^。^)y-.。o○





皆さんのお宅では如何ですか??(^。^)y-.。o○











家族葬なるもの。。。♡

自分の葬儀は『家族だけでいい』と父親は言う。





でも、父親の葬儀は『立派にしたい』と家族は思う。





・・・どうなんでしょうねぇ~~。





人は一人で生まれてきて、もちろん母親とはへその緒で繋がっていたから、一人ではなく、母親、父親に愛されて生まれてきたのだけれども。





そして、一生一回きりの人生の中で修行をし、そして一人であの世へ旅立つ。





もちろん、その際には家族に見守られて、お礼が言えるのであれば、今生の別れを聞いていただき、あの世へと旅立つ。





葬儀はその後のこと。





宗教によっても相違があるが・・・仏式であれば四十九日で初めて仏となり、33回忌が終わって「神」になるのだと教わった。





やがて訪れるかも知れない自分の場合をふと考えてみた。





残された者たちへの負担を考えれば、そんな壮大な葬儀はいらないと思っている。





もちろん、莫大な経費の掛かることも考えて・・・。





ただ、苦楽をともにした家族が死出の旅立ちの際にいてくれていればそれでいい。





今、家族葬と言う葬儀の形が静かなブームであるという。





自分のその時を考えてみるうちに、何となくその形を想像してしまう。





私はその方法が良いと考えている。





自分にとってもお似合いなのかな??





そして、永代供養・・・それで良い。





残された家族とともに、その旅立ちをしめやかに別れのその時間を共有してほしい。





人は死んだときに、その生きざまが表されるという。





結婚式と違って招待するのではなく、生きている間にその生きざまに共感した方々、関係した方々の数でその人に生きざまが現れるという。





なるほど、それも最もな話だ。





しかし・・・最も重要なのは一番自分の苦楽を共にしてくれた家族だ。





家族だけがその時に傍にいてくれれば良いのである。





人はそれぞれ持って生まれた寿命というものがある。





それを、最後のお別れに自分を考えてくれればそれで良いと考えている。。。( `ー´)ノ













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