2018年11月の記事一覧

愛を積む人生を送られたら・・・♡

愛を積む人・・・昨年終了した映画であるが、原作は「石を積む人」だったであろうか・・・ちょっと記憶にはっきりしないところがある(笑)・・・。





愛する配偶者とともに北海道のある田舎に家を建てたが、奥様に先立たれることになったが、奥様は生前から病気を押していくつもの手紙を託していた。





それは後で知ることになるのであるが・・・約束通り佐藤浩市扮する旦那様は整然と同じく独り身となった後にも、黙々と石を積み上げていた。





それは、奥様との約束の愛を積むことになるのであるが・・・。





果たして、私はもしも万が一相方を先に失った場合、生前の約束を果たすことができるのであろうか?とふと想像してしまった。





きっと、会い方を失った小鳥のつがいのように、後を追って死んでしまうことになってしまうのではないか・・・と。





しかし、実際には愛と責任感の強い私の事である。





事を成し遂げるに違いないわなぁ~~。





一つひとつが相方からいただいた愛に違いない。





映画と同じ境遇だったとして、、、今度は私が愛を返す番であることに変わりはないと思うのである。





家の周りに、毎日、毎日一つひとつを積み上げることが、自分を支えてくれた妻への恩返しでもあるのかもしれないから。





きっと一つひとつの石には楽しいことや、苦しかったこと、哀しかったことなどなど、いろいろな想いが去来するのではないのかな・・・





夫婦とはそういうものであるのだとも思う。






それでは、私と相方の立場だったらどういうことになってほしいのかとも考えてみた。





きっと相方は強く生きてゆくのであろうな。





そして、今生きている私はそんな心からお世話になった相方を解放してあげようとも思う。





残りの人生を自由に生きて欲しいと思っている。





私のことは心の片隅にでも置いておいてもいいから、老いらくの恋でもいい。





自分の人生を全うしてほしいのである。





環境の違う二人が一緒になって、ともに思いやり、将来の夢をそれぞれと思っているであろう。





私のことなど気にせずに、躊躇せずに自分のやりたいことを全うしてほしいのだ。





いろいろと人によって考え方はあるであろう。





こうしないといけない、相方の人生を縛ってはいけない。





相方がその先に送る人生が自分の人生と考えたい・・・そんな風に考えている。












デジタル写真機撮影とフィルム写真機撮影。。。♡

デジタルカメラが普及され性能を上げていく前の、フィルムカメラでは太陽が入った光景など、特殊な操作をしなければ、撮影できなかった・・・気がする・・・。



デジタルになった途端に・・・こんな写し方が間単にできる様になった・・・。



何故か・・・フィルムが太陽光を吸い込んだだけで真っ黒になってしまったからである・・・。



そして、、、目もいかれてしまうよね。。。



デジタルになったおかげで・・・こんな美しい風景も撮影可能になった・・・。








縦版は奥行きが出て・・・写真に凄みが出る・・・習ったことがないので、経験上の話であるが・・・



横版は写真に広さが感じられる・・・。



私は、縦版がとても好きなのですが・・・。










似たようなところを撮っているが・・・空間の違いが感じられる。



カメラがデジタル主流になったおかげで、一枚一枚を大切にしなくなった。



言わば・・・昔で言えば連射で撮った写真か・・・単発のライフルを使うかのようである・・・。



フィルムは高価で・・・さらに現像費がかさむ・・・。



それを考えただけでも・・・デジタルになって如何に安上がりになったかがわかる・・・。



しかも、PCを使って安価のSDカードを使えば巨大に引き伸ばすこともできる・・・。



便利な時代になったものである・・・。



でも、本当の写真好きは・・・やっぱり・・・フィルムカメラが忘れられない・・・。



フィルムからデジタル処理はできても・・・SDカードをネガには変えられない・・・。



そこも、フィルムの良さであることを忘れてはならない・・・と思う・・・。



記事の内容が間違っていたら、カメラに詳しい方、どなたか訂正のコメントをくださいね・・・。







我が子の成長とその想い。。。♡

我が子の成長というものはとてもいいものだ。





知らず知らずのうちに成長している。





まして同性となればお互い話さずとも心の内を慮っているものだ。





でも、本当のことを腹を割って話したいと思っている。





いつまでも我が子であるとの証しが欲しいと願っている。





そんなことを知ってか知らずか、我が子は何も言わずとも成長してゆくものである。





まして家から出るとなればなおさらである。何も言わずとも親の心を押し測っているというようなものだ。





よくぞここまで成長してくれたとおもうものである。





自分の手から離れてゆく。





それこそ成長の証しである。寂しい気持ちもあるが、いずれは手を離れて飛翔して欲しいと願う。





そんな気持ちが嬉しくもあり、これからの船出に無事に出航してくれと願う。





親というものはいつまで経っても我が子であることに変わりはない。





そこがまた誇らしい..










.

偽りの仮面でいても、将来は開けない。。。♡

仮面を見て想像するのは・・・何ともいえないけれども・・・就活生の表情に見えてくる・・・それが良いのか悪いのか・・・。





時には仮面をかぶって自分をさらけ出さなければならいだろうな・・・。





大学生の就活には・・・いや、高校生と言えども、大人との関わりは日頃から必要であるんでしょうね。





何より、コミュニケーション力を必要とされているからであるんだ・・・と思いますね。





最低限、大人との関わりを増やすには、最低でも、アルバイトの経験だとか、ボランティアの経験が必要だと思われます。





そして、働くことへの自分の意識を明確にしておくこと。





大学3年生になる前に、それらの経験をしておくことが肝要なのでなないのかな??





そして、働くこと、大人とのコミュニケーションの経験、失敗の経験、それらを生かした成功への道筋などを明確にしておくこと。





そして何より大切なのは、自分が将来どんな人間になって、何をしたいのか、志望企業を研究してその自分の立ち位置がハッキリといえるようにしておくこと、そしてそれを明確に話すことが出来ること、、、これは就活に置いて必須の事柄であるでしょうね。




いつまでも、実経験もないのに、そうぞうだけ、嘘偽りの「仮面」は、採用のエキスパートからは面接の回数を重ねるごとに、剥がれ落ちてしまう。





こうならないように、実体験、会社研究などの経験はしっかりと自分のものにしておかなければ、今の就活は乗り切れない。





ゆめゆめ、仮面だけで乗り切れるとは思わないようにしていただきたいと思いますね。





そうすれば、今風に言えば、就活の入口であるエントリーシートなど、さほど難しくは無いと思いますよ(^_-)-☆





社会人になる前に多くの経験をしておくべきでしょうね(^_-)-☆











回想♡ いつかのサンタクロースは何処に??。。。♡

少し気が早いような気がしますが・・・来月、そう、1か月後には、待ちに待ったクリスマスイヴを迎えることになるわけですね~( *´艸`)





昔のこと、、、子ども達が小さなころには、おもちゃ屋さんで買ってきたサンタの服に付け髭などを工夫したものでした(笑)





そして、子ども達が寝静まった頃に、むくっと起き出して、かみさんと二人で押し入れにかねてよりしまっておいた、プレゼントを枕元に用意したものです。





ここで、問題が起きたことがありました。





寝たと思っていた子ども達が、真っ暗な中を置きだし、ドアを空けて「何か赤い服を着た大人の人が出入りしていたよ。」ってね。





いひぃ~~っ‼ これは今年は失敗したか??(#^^#)





でも・・・プレゼントには気づいてないようだ、、、シメシメ‼(^。^)y-.。o○





な~~んてね。。。子ども達には純粋な気持ちを出来る限りの年までは持っていてもらわないとね‼ ・・・というのが偽らざるきもちでしたね(#^^#)





それがいつの間にか、ある年には「この袋の包み紙、あそこのオモチャ屋さんと同じだ~~っ‼」って、夢が現実に近くなる日が早いな(笑) と感じたものでした。





それから、幾年か経ったときには、もうすでにプレゼントなどの年ではあるまいに、今年はサンタが私には来ないね・・・なんて、うまく親の心を見透かすように、そこだけ強調したりして。





段々とコマっしゃくれたようなことを言いだすんですね。





あれには参りましたね。。。こずるくなってきたなぁ~~、なんてね(#^^#)





そして、いい年になっていまでも・・・・ポツンと・・・





サンタはいるはずなのにね~~って、こちらをニヤリとしえ見る訳ですよ~~(#^^#)





まあ、、、現実を知ったころから、子どもというのは、大人と同じ夢をみないような大人になってゆくんですね。。。





私は今でもサンタはいるんじゃないかな??な~んて思ってはいるのですが。。。(^。^)y-.。o○





皆さんのお宅では如何ですか??(^。^)y-.。o○











心の師。。。♡

過ぎてしまった思い出に引きずられたくはないのだが・・・





どうしても、忘れられない思い出もある。





特に、自分の思考を変えてくれた印象の事柄があるような場合なら、思い出にもすがることもないことは
ない。





過去の自分と一緒に働いてくれていた人ならなおさらのことだ。





その人は、自分の能力を見つけ導き出してくれた。





自分がそれほどの能力が無いとおもっていても、その人から見れば自分の能力を少ししか発揮していないとも言ってくれた。





自分の将来を導き出してくれた人だった。





その方は、少し前に、まだ現役でありながら病に勝てず、薬石功啼く他界してしてしまった。





あれほどの元気なスポーツマンでもあったのに・・・。





「〇〇があれほどやるとは思っていなかったなぁ~~。」





自分はその言葉が嬉しくて、その言葉に酔っていたほどであった。





そして、その日から、自分の何事に対してもの快進撃が始まった。





それも、これも、故人のおかげで在った。





だが、音信もしばらく無かった間に他界してしまった。





いつの頃であったろうか、、、年賀状を出したらば、その返信が訃報となって還ってきた。





大粒の涙が頬を伝わった。





残念で仕方がない・・・というよりも、何故その訃報が余りにも遅れて自分のところに来てしまったかが、とても辛かった。





実家がとても遠くて一筋縄では行けないところであるが・・・





いつか、訪問して、あの時のお礼とともにお焼香をして、かの時のお礼を伝えしたいと思っている。












家族葬なるもの。。。♡

自分の葬儀は『家族だけでいい』と父親は言う。





でも、父親の葬儀は『立派にしたい』と家族は思う。





・・・どうなんでしょうねぇ~~。





人は一人で生まれてきて、もちろん母親とはへその緒で繋がっていたから、一人ではなく、母親、父親に愛されて生まれてきたのだけれども。





そして、一生一回きりの人生の中で修行をし、そして一人であの世へ旅立つ。





もちろん、その際には家族に見守られて、お礼が言えるのであれば、今生の別れを聞いていただき、あの世へと旅立つ。





葬儀はその後のこと。





宗教によっても相違があるが・・・仏式であれば四十九日で初めて仏となり、33回忌が終わって「神」になるのだと教わった。





やがて訪れるかも知れない自分の場合をふと考えてみた。





残された者たちへの負担を考えれば、そんな壮大な葬儀はいらないと思っている。





もちろん、莫大な経費の掛かることも考えて・・・。





ただ、苦楽をともにした家族が死出の旅立ちの際にいてくれていればそれでいい。





今、家族葬と言う葬儀の形が静かなブームであるという。





自分のその時を考えてみるうちに、何となくその形を想像してしまう。





私はその方法が良いと考えている。





自分にとってもお似合いなのかな??





そして、永代供養・・・それで良い。





残された家族とともに、その旅立ちをしめやかに別れのその時間を共有してほしい。





人は死んだときに、その生きざまが表されるという。





結婚式と違って招待するのではなく、生きている間にその生きざまに共感した方々、関係した方々の数でその人に生きざまが現れるという。





なるほど、それも最もな話だ。





しかし・・・最も重要なのは一番自分の苦楽を共にしてくれた家族だ。





家族だけがその時に傍にいてくれれば良いのである。





人はそれぞれ持って生まれた寿命というものがある。





それを、最後のお別れに自分を考えてくれればそれで良いと考えている。。。( `ー´)ノ













お写真は大好きですね(^^♪

私と写真との出会いは小学5年生の時の撮影会だったでしょうか。




カメラはもちろん主催者側が貸してくれたもの・・・。




嬉しかったですね。そのことから一瞬を切り取るという写真の醍醐味に晒されてきたような感じがします。




そして中学。父のお古のキャノンの手動カメラでした。もちろんやすものでしたけれども・・・。





でも・・・嬉しかった。やっと一眼レフカメラを手にした時のあがの感じは例えようもありません。




レンズも備え付けの35ミリ。替えのレンズはありませんでした。




被写体は主に人間の表情だったように思います。




そして就職し、またまた安物の中古ですがズームの替えがあるものを入手できました。




被写体は移り変わり、鳥などの動くものを追うようになりました。




渡り鳥などを撮るときなどは、心臓がバクバクしていたものです。




銃でいうならばライフルのようなものですね。フィル。ムの時代ですから一枚一枚が勝負でしたね。




そして、少しではありましたが・・・有名雑誌に入賞したことも何度か・・。それなりに嬉しかったですね。素人でも見てくれる人は見てくれるんだってね。遥か昔のことではありますが・・・(笑)。




そしてデジタルの時代へ。。。




残念ながら、この時代には高い機材は入手出来ていません。




いつの間にか情熱を失ったような感覚がありました。




本当は連写できるような高い機材が欲しかったのですが。それもままならず・・・。




そして今素晴らしい写真家さんの素晴らしいお写真を目にする機会に恵まれました。




これが一番私には合っているのかな。とても嬉しい‼




素晴らしいお写真との出会いは、私の心にまた火をつけてくれたような気持ちがします。




もっと、もっと素晴らしいお写真と出会いたいものです(*´▽`*)










個性は成長の証し。。。♡

人はオギャーと生まれた時から老化が始まっているということを聞いたことがある。



生き物はすべてのものがそれに当てはまる。



人間も例外ではない。



しかし、二十歳(はたち)ぐらいまでは、成長の過程で、老化などと言う言葉は当てはまらないではないのか、とも思ったりする。



しかし、肉体は確実に老化してゆくのである。



いやいや、老化というよりも進化する、と言った方が適切なのかも知れないなぁ~。。。



精神的には「社会」という荒波の中でもっともっと進化する。。。



・・・というよりも丸くなると言った方が適切なのかも知れない。



丸くなる・・・これって老化だよね(笑)



尖っていたものが、年を重ねるにつれて、角が取れていくのだ。



私は、逆に「金平糖」のように成長してゆくのではないかとも思っている。



『個性』という「成長」の証しなのである。。。



しかし、肉体は別だ。



ん~~ん、35歳辺りからいうことが効かなくなってくる。



運動能力もそれに比例する。



そして5歳年を経るごとに、がくん、がくん、というように運動能力が落ちてくる、なにもしないでいると・・・。



そして、それに反比例するように肉体も新陳代謝が衰えてきて、贅肉という、忌まわしいお肉が身体の周囲についてくる。



特に腹部だ。腹筋を鍛えていようといまいと、少しづつ脂肪という名の悪魔が押し寄せてくる。



まあ、これも腹部の内臓系を護る上では必要なことなのであるが・・・。



そして、極めつけは50代。。。



ここまで年齢を重ねると、男性は腰パン、女性はポッコリお腹に、いやでも好き嫌いに関わらずなってくる。



これも顕著な老化のひとつなのであろうね。。。



しかし、誰が決めたのかは知らないが・・・ある年になると、その呼び方が、如何にもといった具合で心を打ち砕かれるかのような呼称にかわってくる。



しかし、人それぞれで、考え方の違いで、その後の人生が変貌してくる、というよりも木の持ち方に差がついてくるのではないか。



それも仕方のないことであろう。。。



今ではその呼称も「シニア」という呼び方に配慮されている。。。



まだまだ、これからと考えている人もいれば、これからが第2の人生だ、などと考える人もいよう。



シニア世代は悪い事ばかりではない。



映画はシニア料金で半額に近い。



床屋さんもシニア料金だ。



外国では、年を重ねただけ、尊敬され、大切にされる。



わが国ではそういう見方がまだまだだと思うが、往々にして、「早く枯れてください」と言わんばかりのような風潮がある。



ある学者の見方によると、今は昔と比べて10年は若い、などと言っている。。。



冗談ぽいだ。。。


確実に肉体は昔と同じように滅んでいるのなんだと感じる。



しかし・・・これからは気の持ちよう。。。



まだまだ、自分の人生はこれからだ、と考えれば健康なうちは精神がカバーしてくれる。。。



気の持ちようだ。。。壮年と呼ばれれば嬉しいが、お年寄りと呼ばれたくはない。



人生これからなのである。。。



誰でもが老化するのは当たり前。。。早く枯れてくださいなどとはもってのほかなのだ。



人生経験という武器が、お年を召した方々にはある。



それが活用されるか、されないかはその人次第。。。



楽しい一生にしたいものだ。



私は、長生きはしたくはない。



健康寿命の中で人の為に、家族のために生きられれば、それで充分であると思っている。









必然の出会い。。。♡

ともすれば流されがちな人生。。。





しかし、考え方を少しばかり変えるだけで人生が随分と満足のいくものに変わってくる。





それには、何かしら他者から影響を受けなければならない。





数変わる自分の上司(過去の方ね(笑))の中で、この人の為なら死んでもいいと思える人に会えたなら、とても幸せなことである。





いたのだ。。。





そういう人が。。。





熱い情熱、部下を思ってくれる仕事ぶり。





時には厳しいことも多かったが、そういう人はとても稀有なんだろうな、と思う。




その上司のいた僅か2年間ではあったが、とても幸せだった。





何たる人間なんだろう、と思った日も多かったが・・・。





多分、この上司の方は自分ではわかっていなかったのではとも思う。





それだけ、自分に馬鹿正直で、熱かったのであった。





今でも年賀状をやりとりしているが・・・相変わらず、とても辛辣で愛情深い。。。





このような人に会うって、実際の現場だけではないとも思う。





今やっているブログからでも十分に同じような感覚を覚える方がいる。





・・・とても幸せな事なんだと思わずにはいられない。。。





年上とか、年下でもないんだよ。男でも女でもそれは変わらない。





自分を刺激してくれる。それだけでも十分に感動できる。





もしかしたら・・・そういうことは偶然ではなく必然の出会いであるのかも知れない。





ともかく、今、熱い血がたぎる感覚なのである。





そう感じることは、あなたにはありませんか??










不思議な体験??。。。(*´ω`*)

今日の早朝は少し白い雲のあるものの快晴だった。。。



そして、そして・・・月,星も明るく見えた。



そして、月の近くの星を見ていたら、いきなり動き出した。



あれは星などではなかったのだろう・・・。



直線的に動き出したと思ったら、ふっと消えた。。。



いわゆる・・・UFO・・・なのだったのだろうか??(#^^#)



昨年も同じ時期に太い、余りに線の太い流星を見た。。。多分、大きめの隕石だったのだろう。。。



その日は、数えて3回くらい、意に沿わない良くないことが続いた。。。



そして、今日。。。



昨年と同じように悪いことが続いた。。。



ある交差点で信号待ちをしていた時に、青になったので走り出そうとしたら・・・



動かない、、、動かない。。。



後ろの車からはクラクションの嵐が聴こえるし、正直焦った。。。



ずっと同じこの車を動かしているというのに(オートマチックね(#^^#))なんということだろう。。。



こんなことは初めてだった。



後方の車が行ってしまってから、何故このようなことになってしまったのか、検証した。。。



冷静になって考えてみたら・・・右足でずっとブレーキを踏んでいるのは疲れるので、足元にあるサイドブレーキが元に戻っていなかったのが原因だった。



常に、信号待ちなどではブレーキだけでなく、足元のサイドブレーキを踏んでいるのだが、こんなアホみたいな経験は初めてだった。。。



冷静になって考えてみれば、すぐに結論は出るのに・・・



身体が覚えているのだが、どうしてだろう??



きっと、早朝のUFOらしきものの仕業に違いない(笑)。。。。。。



明日から、早朝の空は見上げないことにしよう。何か悪いことがあるといけないから(笑)



こんなことを考えた自分でした。。。そして、自動車の設計者にも言いたい。。。



車のサイドブレーキは、足元でなく、左手で操作出来るものに戻してほしいと(笑)



新静岡セノバのエントランス道路の急な坂道が危なくてしょうがないじゃないか。車が後ろへ下がって事故を起こしそうになるのだから。。。坂道発進は、左手で操作できる車でならったんだよ。。。ブツブツブツ・・・



こんなことを体験し、考えた一日でした(笑)








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