その他の記事一覧

ポイントカード。。。♡

私はコンビニの中で一番好きなのはローソンかな??





店員さんの対応も他のコンビニと比べて段違い・・・





これだけ市内に数あると、どうしても使用頻度が偏ってしまう。





何が他のコンビニと違うかというと、まず店員さんの教育が良く出来ているということだろうか。





ある時、駿河区のあるローソンへ行ってみた。





若い女性店員さんだったが、その若さをものともしない対応が素晴らしく、商品知識が豊富であるということだ。





そして、ここを一番観て欲しいのであるが・・・





お釣りを渡される時に、釣り銭が落ちないように、下を支えて渡してくれる。





私はコンビニの対応を観察する時に、その点を一番重視している。




次には、ハキハキとした笑顔だろう。





そして、最後に商品知識であるだろうか。





色々なコンビニを利用するが、ローソンが一番だろう( *´艸`)





まあ・・・たまたま寄ったお店がそうであったのかも知れないのだろうが・・・





他のコンビニの酷いところは、暖女店員でとにかく無駄話をしているお店があると思われることだ。特にサ・・・・・など。。





また、釣銭をいただく時に投げるように渡されることも多い。





何度かこんな目に遭っているので、そのお店は緊急性が無い限り、あまり利用したくはない( `ー´)ノ





そんな利用頻度の多いローソンなので、ポイントカードも古くからのものも入れて3枚になってしまった(#^^#)





懇意にしているコンビニなので、頼まれれば断り切れなかった結果なのである(^^)/





また、お財布ごとにも使い分けている(*´ω`*)





ポイントが溜まらないということも無いではないが・・・





ポイントは殆どおまけに近いのである。





明日ポイントが無くなると言えば、溜めておいても意味の無いことであるので、私は数回で直ぐにポイントを使うことにしている。





これが一番効率が良いと思っている(^^)/





ポイントというものは、明日にでも、そのラッキーが無くなることでもあるのだということを考えていた方が良いのだと思っている。





そういうことを何度か経験しているので、それが一番のポイントの有効な使い道だと考えてもいるが・・・。





まあねぇ~~、人それぞれの考え方もありますから。。。





明日にでもポイントを廃止するとされたらどんなお気持ちになりますでしょうね??











河崎愛美さんの著書「あなたへ」。。。♡

過日、古本屋さんに行って、一冊の本に出合った。





題名は「あなたへ」・・





著者は、河崎愛美さん というらしい。





本の題名に惹かれ、思わず手に取って読んでしまった。





何々??中学生の時にこの本を書いて、賞を取っているらしい・・・。





中身を立ち読み。。(#^^#)





冒頭から、どんどん引き込まれてしまった。





中学生とは思えない、ストレートな表現・・。





本当に中学生がこんな文章を書けるのだろうか??





そこには理路整然とされた、語彙の数々が並んでいた。





もちろん、純愛小説なのである。





特別に難しい語彙は用いてはいないのだが・・





ストーリーの展開が素晴らしくて、奥深いのである。





こんな文章を書こうと思っても、なかなか書けないであろうね( *´艸`)





ただ、知りたいことは・・・





この純愛小説が自分の経験によるものであって欲しいと思うばかりなのである(*´ω`*)





河崎愛美さんの著書は、後にも先にも、まだこの一冊だけだそうだ。





次に書いていただけるのは、いつになるのだろうか・・・





大人になった河崎さんの次の本を是非読んでみたいと思った♡













遡ってみれば、何か感じる事も。。( `ー´)ノ

仕事っていうのは、今までの経験の中でしか話せないし、それ以外は想像でしか言えないことばかりなのだと思うのだが・・・。





多分に、社会に役立つための、自分にとっては面倒なことをその対価を得てするものだと思っている。





でも、それだけではないはずだ。





間接的にでも人の人生を左右させるようなこともアドバイスして納得していただくようなこともある。





その瞬間、瞬間で、手応えが感じられればこれほどうれしいことはないはずである。





また、それ以外でも生きている実感を感じられればそれに越したことはない。





自分の好きな道で。もがきながら果実を得る努力をされている方々が大勢いるはずだ。





実に羨ましい、、、ということも言えるのだが、実際想像を絶するような苦労もしていることであろうね。





自分の経験したかったこと。。。





営業部門でどっぷりと浸かって失敗、成功の喜びをしたかったこと。





他には、放送業界、芸能業界で縁の下の力持ちでもいいから、携わってみたかったなあ、、、と、しばしば感じることも多い。





特に若い時代にはね。





でも・・・まだ、その可能性はある??





いやいや、その道に従事されている方には失礼になるかな??





でも、若い方には、まだまだ無限の可能性がいっぱいだ。。。





頑張れ若者よ。





頑張れ人生経験者よ。





まだまだ、先は長いのかも知れないよ(笑)




そうだよね。。。











置かれた場所で咲きなさい。。。♡

就職してから、この方、いろいろと考えてきたことではありますが・・・





如何にして自分の人生を考えてゆくか・・・





いきなりこんなことを書いては失礼かとも思いますが・・・。





最近気になっていることを、少しばかり・・・。





世の中には、生まれながらにして、人よりお金持ちであるとか、顔が良いとか悪いとか・・・





学校の勉強ができるとかできないとか・・・





一流だとか三流だとかは知らないけれども・・・





どの学校を出てこんな立派な会社に勤めているだとか・・・





そんなことばかりを気にしている方々が殆ど??だと思われます。。。





あながち、間違いでは無いのかも知れないですね・・・。





それが世間では常識と言われている風になっているのも事実なのですね・・・日本の社会は。。。





社会の風潮がそうであり、世の中・・・特に有名とか、大企業とか言われている企業等、或いは、官僚等も実際にその通りになっているのかも知れません。




けれども・・・そんな常識ばかりに騙されてはいけないのです。





学歴などというファッションを身に纏うような、または、そんな風な親の意向を受けて育ってきた方は、子どものうちは褒められるかもしれません。




しかし・・・社会に出たら、そんなもの、屁のつっかい棒にもならないのです。





社会の成り立ちは、とても多様性に富んでいます・・・。






しかしですね~~、考えてみてくださいませんか??





この世に大きなものを残した人は、そんな世間の常識をものともしなかった人ばかりです。。。





今のような厳しい世の中、一流大学を出ても、やりたいことが出来なかった、会社の自分に対する見方が想像もしていなかったという浅慮な考えで、直ぐに辞めていったら、その方の人生は自分の思いもよらない先細りの人生に展開してゆく可能性が多くあるのです。





置かれた場所で努力し、頑張っている方々が自分の花を咲かせた、言っても過言ではないのだと感じています。





要は、学校を出ているといないに拘わらず、夢を持って、夢に寄り添い、努力し、諦めなかった方々が末広がりの人生を歩いているのです。





弛まない工夫を重ねる努力と、忍耐、夢を咲かせようとする強い意志、これが自分の人生を成功に導いてゆくのです。





えっ・・・それじゃあ、自分の人生はどうかって??・・・うん・・・まあ・・・山あり、谷ありで、このタイトルには合わない人生を送ってきた・・・と言ってもいいのかな??(#^^#)
リベンジもしたり、返り討ちにあったりも。。。(^_-)-☆





でも、まあ、自己満足かも知れないけれど、ある程度充実感を感じる部分もあるのでは??とも思っていますが( *´艸`)





努力している方には、運も味方についてきます。





ひとつのことが成功したからと言って、慢心して停滞するのでなく、絶えず考え、新しい発想を生かしてゆく・・・それが必要であると言えるのですね。





ひとつの成功に甘んじることなく、次が落ち目になるということを考え、成功のうちに更に革新(イノベーション)してゆくこと・・・





それが、成功者のカギであるということも言えることなのですね。





人生はいくつもの山であり、大きな谷もあります。





登って頂上を極めたら、図らずも大きな下りが待っているということも考えておかなくてはなりません。





ただ・・・下りを恐れてはいけないのです。





そこで意気消沈してしまってはいけないのですね。





どん底に下ってしまったら、あとは這い上がるのみ・・・。





努力の価値は、そんなところにあるのだと信じています(^_-)-☆










土の中から生まれたものは、皆、美しいですよね。。。♡

“なぜかわからないけれど 土の中からうまれたものは みんなきれい”





分かったつもりでいても 日頃からじっくりと対象物として凝視でもしていない限りは なかなかこの言葉は浮かんではこない。





“種をまき 土とともに生きよう ”



“大地に根を張り 幹を自分自身として生きるのだ”



“常に風を感じ お日様の恩恵をいつも感じていよう”



“水の流れは常に清くあり 育んでくれた生き物たちを 生きる糧とするのだ”










この景色がいつしか終いえると思うと それもひたぶるにうら悲しい・・・。




綺麗に咲く花も 自然の摂理には勝てない。





だから人間も生きる価値をともに見いだす。





自然の中に生きる植物たちには 人間はとうてい勝てやしない・・・。





むしろ植物たちから力を 元気をいただいた方がいいだろう。





植物の力は偉大なもの・・・





あの吹き出した溶岩の上にさえ いつしか生を育ませるのですね。





文明の作りだしたものは 人間生活がそこに無い限りいつかは植物たちにのみこまれてしまう。





そして そこに生きる生き物たち 昆虫ほか ありとあらゆる生き物はその死骸を躯(むくろ)とし 根を生やすなど 最後に生きる者たちは植物なのである。





人は常に謙虚でなければならない。





そしてそれが一番の生きる方策でなければならない。





共存・・・この大地に生きている限り失ってはならない心でもあるのだ









素敵な才能、センスにあやかりたい。。。♡

私は建築学のど素人ではあるが、それでも、折りに触れ、素人ながらも少しづつ勉強している。。。・・・と言っても、素人の域を越えない範囲ではあるが・・・・(*´ω`*)



本屋さんに行っても、気になるのはやはり、建築関係の雑誌であろうか。。。




最近、とても凄い雑誌が目について、直ぐに購入してしまった。。。




知り合い(私は友人と思っているが、どうだろうか・・・(笑))の設計した見覚えのあるお写真の表紙が目にとまった。。。




なんと、私の好きな「千ルチンびと」の表紙を飾っているではないか。。。




驚きと同時に嬉しかった。。。




有名雑誌の表紙を飾るなど、なかなかないことである、と解釈している。。。




空間を遊ぶ、というか、設計者のセンスを大いに感じている。。。




もちろん、私には注文建売住宅ではあるが・・・




こんな才能を持った住宅に住みたかった。。。




きっと施主は大いに満足しているであろう。。。そうだ、この上ない喜びに浸っているに違いない。。。




設計者の素敵なセンスと施主の将来への想いが一致しているのである。




ああ・・・建築設計のある家に住みたかった。。。(笑)




そう、来世にこの夢は持っていこうと思う。。。そしてこの建築者に依頼するのだ。




まだ、その夢の方法は無いでもない




宝くじが当たれば良いのだ。。。(笑) きっと、このセンスでお願いしたい(笑) と、真剣に思っている。。。




ああ・・・神様、この夢を叶えてくださいませ。。。




因みに、今年の御神籤では「願いは焦らぬが禁物、じっくり待つが良い結果に恵まれる」と出た。。。その日を楽しみにしている。。。(*´ω`*)
























いかしてる~~♡

『お~~、久しぶりだな。こんなところで出会うなんて・・・』





「本当に久しぶりね♡ どこをほっつき歩いてたのよ~」





『いや~~、な、連れとちょっと浜辺を歩いていたりしてな、いいカモを探していたんだよ・・・』





「相変わらずの札付き悪ね・・・私よりもいいオンナがいたのかしら??アンタにはアタシが一番のお似合いなのよ・・・」





『そうだな・・・オマエより良いオンナなんて太平洋から針を探すようなもんだぜ・・・』





「相変わらず、口だけは達者だね~~他のオンナにも同じことを言ってるんでしょ・・・」





『そんなことがあるもんか・・・オマエのいかしたこの目、この唇、この香り・・・他にはいねえよ・・・いかしてるぜぇ~~・・・』





「もう~~相変わらずおばかさんね~~そんなこと言わなくても解かっているわよ~~敢えて言われるとまた自信に火がついちゃうじゃないの~~・・・」





『本当さ 世界中でお前が一番のおれのシンデレラさ  オレのために生まれてきてくれたんじゃないのか~~』





「さあ~~どうかしら・・・口だけ達者なおまえさんから言われると虫唾が走っちゃうじゃあないの~~・・・久しぶりに出会ったんだから・・・昔のように愛してよぉ~~」





『おうさ・・・お前だけを愛してるんだ・・・久しぶりに気持ちを酌みかわさないか??』





「それもいいわね・・・久しぶりに・・・   ねぇ~~これだけは約束して  浮気だけは絶対にしないと・・・ 私だけを見つめていて・・・」





『そんなこと 言わなくても・・・心はいつもお前ものさ この燃えるハートだけはな~~  男にとっての甲斐性はほんまもんのオンナにヤキモチを焼かせることさ・・・』





「ホントに口ばっかり・・・  そんなことはどうでもいいから久しぶりに私を燃えさせることができる??」





『いつでもオッケーだぜ・・・オマエを喜ばせられるのはオレしかいないぜ・・・』





「その言葉を信じているわ いつでもアタシはアンタのもの・・・浮気なんかしたら承知しないんだから・・・」












な~~~んて言っているんでしょうか??\(◎o◎)/!

いいですね、様になっている男と女って・・・


こんな話を一度でいいから言ってみたいですね(@^^)/~~~










2019年明けましておめでとうございます。。。♡

2019年が幕をあけましたね。。。



このブログを訪問してくださる皆々様、本年もどうぞよろしくお願いいたします。



元日の今日、みなさんはどんな感じなのでしょうね。。。



知る由もないところなのですが・・・(笑)



わたしはまさしく心機一転・・・と言いたいところですが・・・



年賀状書きが火がつかなかったため、思いのほか舞い込んだため・・・



まあ・・・年賀状は1日の元旦としているため、1日の朝、書いてゆくのが本当だと自分に言い聞かせて、

返信をしたためました(笑)



そして、そして、心身ともにリラックスしつつ、新しい一歩への覚悟でよし、やるぞ~~と固い決意をしたものです。



きっと今年もい政治経済外交面で予期しないことが起こることでしょう。



そんな空気が新聞紙面、メディア、ネット情報から伝わってきますね。。。



それを一つひとつ、自分できちんと考え、素直に受け止め、受け入れ、咀嚼しながら、これから判断してゆかなければなりませんね。。。



自分もたくさんたくさん成長していきたいですね。



誰かに任せることなのでなく、自分がどうしたいのか、どうすべきなのか、ということですね。。。



そんな新しい元号の変わる年に、素晴らしい1年になりますことを、自分にも期待したいと思います。。。


今年も、どうか叱咤激励をよろしくお願い申し上げます。。。(#^^#)











今年もお世話になりました。。。♡

今年もブログ上でたくさんの方々の訪問並びにためになるコメントをいただき、誠にありがとうございました




心から感謝申し上げる次第です




多くのブロガーの方々にも訪問し、時には心の琴線に触れる機会も多かったこと、誠に感謝の一語に尽きます




最近よく聞く言葉に「平成最後の・・・」というフレーズですが、来年は改元の年、もうすでに決まっているのでしょうが、安寧な日々の待つこととなる元号になってほしいと、感じております。。。




ちなみに発表は、4月以降になるんだとか・・・色々複雑な気持ちになりますが・・・





今年は犬年だったにも拘わらず一つも良いことはありませんでしたが、来年の干支は猪駆ける年・・・猪突猛進。。。




来年こそは、今年こそは・・・のつもりでいつも1年を過ごすのですが、受け身でなく積極的に前へ前へと進む気持ちで取り組んでゆきたいと思っております



画像は今年を通してのお気に入りを掲載してあります




それぞれに思い出深いものです♡♡♡




何とぞ、来年も相変わらずのご厚誼のほどを宜しくお願い申し上げます











ある会合の席で・・・( ;∀;)

過去の、あるPTAの女性役員会の会合での一言・・・





やり手なのかどうかはハッキリとしませんが・・・





こんな方も中にはいるようですね。





自己顕示欲がとても強い人、、、または人の神経を逆なでするような人。。。






話が弾んできたらしく・・・





「それじゃあ、〇〇さんあの資料の件、家へファックスしておいてくださいよ」





『あのう・・・私の家にはファックスが無いんですけど・・・』





「・・・・・・・・・・・・・!使えねぇなあ!!」\(◎o◎)/!






え~~~~~~~~~っ! 普通、こんな言葉使うんでしょうか??今では??(--〆)・・・・・・・・・!













PCなんて・・・( ;∀;)

一昨日の夜、、、いつものようにPCを立ち上げた。。。




しか~~し、、、 繋がらないのよ・・・ネットが・・・・




自分だけは、ネット依存症じゃないと信じていたのですが・・・




さにあらず・・・




家人の話では、自分の様子がいつもと違っておちつきがないとか、いろいろと・・・




ネットの世界に繋がらないと、寂しいものですね。。。実感しました、、、ネット依存症を。。。(#^^#)




PCが壊れてどうしようもないのなら仕方がない、諦めもつく。。。今までもありましたからね。。。




でも、でも、ネットが繋がらないというのは、ただのPCの操作鹿出来ない訳ですね。。。寂しいものでした。。。




今日、やっと、業者に来て頂いて、診ていただきました( `ー´)ノ




理由は・・・・・・先般の台風24号の停電が長引いたのだとか・・・・なんちゅうこっちゃなのでした。。。




このブログを楽しみにしていただいた方には、ご迷惑をおかけしました。。。




復活しましたので、、、ご挨拶かたがた、お詫び脳仕上げます。。。




ああ~~、、、良かったです。。。(^_-)-☆ 




ご訪問方、これからもよろしくお願いいたしますね。(^_-)-☆













デジタル写真機撮影とフィルム写真機撮影。。。♡

デジタルカメラが普及され性能を上げていく前の、フィルムカメラでは太陽が入った光景など、特殊な操作をしなければ、撮影できなかった・・・気がする・・・。



デジタルになった途端に・・・こんな写し方が間単にできる様になった・・・。



何故か・・・フィルムが太陽光を吸い込んだだけで真っ黒になってしまったからである・・・。



そして、、、目もいかれてしまうよね。。。



デジタルになったおかげで・・・こんな美しい風景も撮影可能になった・・・。








縦版は奥行きが出て・・・写真に凄みが出る・・・習ったことがないので、経験上の話であるが・・・



横版は写真に広さが感じられる・・・。



私は、縦版がとても好きなのですが・・・。










似たようなところを撮っているが・・・空間の違いが感じられる。



カメラがデジタル主流になったおかげで、一枚一枚を大切にしなくなった。



言わば・・・昔で言えば連射で撮った写真か・・・単発のライフルを使うかのようである・・・。



フィルムは高価で・・・さらに現像費がかさむ・・・。



それを考えただけでも・・・デジタルになって如何に安上がりになったかがわかる・・・。



しかも、PCを使って安価のSDカードを使えば巨大に引き伸ばすこともできる・・・。



便利な時代になったものである・・・。



でも、本当の写真好きは・・・やっぱり・・・フィルムカメラが忘れられない・・・。



フィルムからデジタル処理はできても・・・SDカードをネガには変えられない・・・。



そこも、フィルムの良さであることを忘れてはならない・・・と思う・・・。



記事の内容が間違っていたら、カメラに詳しい方、どなたか訂正のコメントをくださいね・・・。







偽りの仮面でいても、将来は開けない。。。♡

仮面を見て想像するのは・・・何ともいえないけれども・・・就活生の表情に見えてくる・・・それが良いのか悪いのか・・・。





時には仮面をかぶって自分をさらけ出さなければならいだろうな・・・。





大学生の就活には・・・いや、高校生と言えども、大人との関わりは日頃から必要であるんでしょうね。





何より、コミュニケーション力を必要とされているからであるんだ・・・と思いますね。





最低限、大人との関わりを増やすには、最低でも、アルバイトの経験だとか、ボランティアの経験が必要だと思われます。





そして、働くことへの自分の意識を明確にしておくこと。





大学3年生になる前に、それらの経験をしておくことが肝要なのでなないのかな??





そして、働くこと、大人とのコミュニケーションの経験、失敗の経験、それらを生かした成功への道筋などを明確にしておくこと。





そして何より大切なのは、自分が将来どんな人間になって、何をしたいのか、志望企業を研究してその自分の立ち位置がハッキリといえるようにしておくこと、そしてそれを明確に話すことが出来ること、、、これは就活に置いて必須の事柄であるでしょうね。




いつまでも、実経験もないのに、そうぞうだけ、嘘偽りの「仮面」は、採用のエキスパートからは面接の回数を重ねるごとに、剥がれ落ちてしまう。





こうならないように、実体験、会社研究などの経験はしっかりと自分のものにしておかなければ、今の就活は乗り切れない。





ゆめゆめ、仮面だけで乗り切れるとは思わないようにしていただきたいと思いますね。





そうすれば、今風に言えば、就活の入口であるエントリーシートなど、さほど難しくは無いと思いますよ(^_-)-☆





社会人になる前に多くの経験をしておくべきでしょうね(^_-)-☆











心の師。。。♡

過ぎてしまった思い出に引きずられたくはないのだが・・・





どうしても、忘れられない思い出もある。





特に、自分の思考を変えてくれた印象の事柄があるような場合なら、思い出にもすがることもないことは
ない。





過去の自分と一緒に働いてくれていた人ならなおさらのことだ。





その人は、自分の能力を見つけ導き出してくれた。





自分がそれほどの能力が無いとおもっていても、その人から見れば自分の能力を少ししか発揮していないとも言ってくれた。





自分の将来を導き出してくれた人だった。





その方は、少し前に、まだ現役でありながら病に勝てず、薬石功啼く他界してしてしまった。





あれほどの元気なスポーツマンでもあったのに・・・。





「〇〇があれほどやるとは思っていなかったなぁ~~。」





自分はその言葉が嬉しくて、その言葉に酔っていたほどであった。





そして、その日から、自分の何事に対してもの快進撃が始まった。





それも、これも、故人のおかげで在った。





だが、音信もしばらく無かった間に他界してしまった。





いつの頃であったろうか、、、年賀状を出したらば、その返信が訃報となって還ってきた。





大粒の涙が頬を伝わった。





残念で仕方がない・・・というよりも、何故その訃報が余りにも遅れて自分のところに来てしまったかが、とても辛かった。





実家がとても遠くて一筋縄では行けないところであるが・・・





いつか、訪問して、あの時のお礼とともにお焼香をして、かの時のお礼を伝えしたいと思っている。












家族葬なるもの。。。♡

自分の葬儀は『家族だけでいい』と父親は言う。





でも、父親の葬儀は『立派にしたい』と家族は思う。





・・・どうなんでしょうねぇ~~。





人は一人で生まれてきて、もちろん母親とはへその緒で繋がっていたから、一人ではなく、母親、父親に愛されて生まれてきたのだけれども。





そして、一生一回きりの人生の中で修行をし、そして一人であの世へ旅立つ。





もちろん、その際には家族に見守られて、お礼が言えるのであれば、今生の別れを聞いていただき、あの世へと旅立つ。





葬儀はその後のこと。





宗教によっても相違があるが・・・仏式であれば四十九日で初めて仏となり、33回忌が終わって「神」になるのだと教わった。





やがて訪れるかも知れない自分の場合をふと考えてみた。





残された者たちへの負担を考えれば、そんな壮大な葬儀はいらないと思っている。





もちろん、莫大な経費の掛かることも考えて・・・。





ただ、苦楽をともにした家族が死出の旅立ちの際にいてくれていればそれでいい。





今、家族葬と言う葬儀の形が静かなブームであるという。





自分のその時を考えてみるうちに、何となくその形を想像してしまう。





私はその方法が良いと考えている。





自分にとってもお似合いなのかな??





そして、永代供養・・・それで良い。





残された家族とともに、その旅立ちをしめやかに別れのその時間を共有してほしい。





人は死んだときに、その生きざまが表されるという。





結婚式と違って招待するのではなく、生きている間にその生きざまに共感した方々、関係した方々の数でその人に生きざまが現れるという。





なるほど、それも最もな話だ。





しかし・・・最も重要なのは一番自分の苦楽を共にしてくれた家族だ。





家族だけがその時に傍にいてくれれば良いのである。





人はそれぞれ持って生まれた寿命というものがある。





それを、最後のお別れに自分を考えてくれればそれで良いと考えている。。。( `ー´)ノ













個性は成長の証し。。。♡

人はオギャーと生まれた時から老化が始まっているということを聞いたことがある。



生き物はすべてのものがそれに当てはまる。



人間も例外ではない。



しかし、二十歳(はたち)ぐらいまでは、成長の過程で、老化などと言う言葉は当てはまらないではないのか、とも思ったりする。



しかし、肉体は確実に老化してゆくのである。



いやいや、老化というよりも進化する、と言った方が適切なのかも知れないなぁ~。。。



精神的には「社会」という荒波の中でもっともっと進化する。。。



・・・というよりも丸くなると言った方が適切なのかも知れない。



丸くなる・・・これって老化だよね(笑)



尖っていたものが、年を重ねるにつれて、角が取れていくのだ。



私は、逆に「金平糖」のように成長してゆくのではないかとも思っている。



『個性』という「成長」の証しなのである。。。



しかし、肉体は別だ。



ん~~ん、35歳辺りからいうことが効かなくなってくる。



運動能力もそれに比例する。



そして5歳年を経るごとに、がくん、がくん、というように運動能力が落ちてくる、なにもしないでいると・・・。



そして、それに反比例するように肉体も新陳代謝が衰えてきて、贅肉という、忌まわしいお肉が身体の周囲についてくる。



特に腹部だ。腹筋を鍛えていようといまいと、少しづつ脂肪という名の悪魔が押し寄せてくる。



まあ、これも腹部の内臓系を護る上では必要なことなのであるが・・・。



そして、極めつけは50代。。。



ここまで年齢を重ねると、男性は腰パン、女性はポッコリお腹に、いやでも好き嫌いに関わらずなってくる。



これも顕著な老化のひとつなのであろうね。。。



しかし、誰が決めたのかは知らないが・・・ある年になると、その呼び方が、如何にもといった具合で心を打ち砕かれるかのような呼称にかわってくる。



しかし、人それぞれで、考え方の違いで、その後の人生が変貌してくる、というよりも木の持ち方に差がついてくるのではないか。



それも仕方のないことであろう。。。



今ではその呼称も「シニア」という呼び方に配慮されている。。。



まだまだ、これからと考えている人もいれば、これからが第2の人生だ、などと考える人もいよう。



シニア世代は悪い事ばかりではない。



映画はシニア料金で半額に近い。



床屋さんもシニア料金だ。



外国では、年を重ねただけ、尊敬され、大切にされる。



わが国ではそういう見方がまだまだだと思うが、往々にして、「早く枯れてください」と言わんばかりのような風潮がある。



ある学者の見方によると、今は昔と比べて10年は若い、などと言っている。。。



冗談ぽいだ。。。


確実に肉体は昔と同じように滅んでいるのなんだと感じる。



しかし・・・これからは気の持ちよう。。。



まだまだ、自分の人生はこれからだ、と考えれば健康なうちは精神がカバーしてくれる。。。



気の持ちようだ。。。壮年と呼ばれれば嬉しいが、お年寄りと呼ばれたくはない。



人生これからなのである。。。



誰でもが老化するのは当たり前。。。早く枯れてくださいなどとはもってのほかなのだ。



人生経験という武器が、お年を召した方々にはある。



それが活用されるか、されないかはその人次第。。。



楽しい一生にしたいものだ。



私は、長生きはしたくはない。



健康寿命の中で人の為に、家族のために生きられれば、それで充分であると思っている。









必然の出会い。。。♡

ともすれば流されがちな人生。。。





しかし、考え方を少しばかり変えるだけで人生が随分と満足のいくものに変わってくる。





それには、何かしら他者から影響を受けなければならない。





数変わる自分の上司(過去の方ね(笑))の中で、この人の為なら死んでもいいと思える人に会えたなら、とても幸せなことである。





いたのだ。。。





そういう人が。。。





熱い情熱、部下を思ってくれる仕事ぶり。





時には厳しいことも多かったが、そういう人はとても稀有なんだろうな、と思う。




その上司のいた僅か2年間ではあったが、とても幸せだった。





何たる人間なんだろう、と思った日も多かったが・・・。





多分、この上司の方は自分ではわかっていなかったのではとも思う。





それだけ、自分に馬鹿正直で、熱かったのであった。





今でも年賀状をやりとりしているが・・・相変わらず、とても辛辣で愛情深い。。。





このような人に会うって、実際の現場だけではないとも思う。





今やっているブログからでも十分に同じような感覚を覚える方がいる。





・・・とても幸せな事なんだと思わずにはいられない。。。





年上とか、年下でもないんだよ。男でも女でもそれは変わらない。





自分を刺激してくれる。それだけでも十分に感動できる。





もしかしたら・・・そういうことは偶然ではなく必然の出会いであるのかも知れない。





ともかく、今、熱い血がたぎる感覚なのである。





そう感じることは、あなたにはありませんか??










不思議な体験??。。。(*´ω`*)

今日の早朝は少し白い雲のあるものの快晴だった。。。



そして、そして・・・月,星も明るく見えた。



そして、月の近くの星を見ていたら、いきなり動き出した。



あれは星などではなかったのだろう・・・。



直線的に動き出したと思ったら、ふっと消えた。。。



いわゆる・・・UFO・・・なのだったのだろうか??(#^^#)



昨年も同じ時期に太い、余りに線の太い流星を見た。。。多分、大きめの隕石だったのだろう。。。



その日は、数えて3回くらい、意に沿わない良くないことが続いた。。。



そして、今日。。。



昨年と同じように悪いことが続いた。。。



ある交差点で信号待ちをしていた時に、青になったので走り出そうとしたら・・・



動かない、、、動かない。。。



後ろの車からはクラクションの嵐が聴こえるし、正直焦った。。。



ずっと同じこの車を動かしているというのに(オートマチックね(#^^#))なんということだろう。。。



こんなことは初めてだった。



後方の車が行ってしまってから、何故このようなことになってしまったのか、検証した。。。



冷静になって考えてみたら・・・右足でずっとブレーキを踏んでいるのは疲れるので、足元にあるサイドブレーキが元に戻っていなかったのが原因だった。



常に、信号待ちなどではブレーキだけでなく、足元のサイドブレーキを踏んでいるのだが、こんなアホみたいな経験は初めてだった。。。



冷静になって考えてみれば、すぐに結論は出るのに・・・



身体が覚えているのだが、どうしてだろう??



きっと、早朝のUFOらしきものの仕業に違いない(笑)。。。。。。



明日から、早朝の空は見上げないことにしよう。何か悪いことがあるといけないから(笑)



こんなことを考えた自分でした。。。そして、自動車の設計者にも言いたい。。。



車のサイドブレーキは、足元でなく、左手で操作出来るものに戻してほしいと(笑)



新静岡セノバのエントランス道路の急な坂道が危なくてしょうがないじゃないか。車が後ろへ下がって事故を起こしそうになるのだから。。。坂道発進は、左手で操作できる車でならったんだよ。。。ブツブツブツ・・・



こんなことを体験し、考えた一日でした(笑)








あなただったら、、、どうしますか。。。( `ー´)ノ

人生1回きりである。やりたいことをやってのけてしまう人もいれば、そうでない人もいる。





まして、内的要因、外的要因など、自分が図らずも受けてしまい、その道を閉ざしてしまうこともままある。





人生何が起こるのか分からない。





生活習慣病というのもその一つの要因である。





お酒が強いからと言って、無理をしてはいけない、絶対に。。。






過信は禁物なのである。






煙草もお酒も体質的に強いからいいってものじゃあないけれども、大概にしておいた方よい。必ず、将来に身体にガタがくるだろう。自分の経験からも。。。






そして、余り責任感が強く、完全主義者も良くない。






仕事では上司の命で何が起こるのか分からないのである。に






辞令一本、命令一回で自分が潰れてしまうこともままある。






大概にやればよい、今までの経験からも、そのことが言える。






楽しい仕事があったら、どんなに嬉しいことであろうか。






今、起業などでいろいろな働き方が創出されてきている。






仕事が楽しい・・・考え方一つで起業も出来てしまった人もいる。






人生やり直しが出来たらどんなに嬉しいことであろうか。。。






いや、いや、自分自身でその方法を、いくらでもある道を築いてゆくのだ。。。






道はいくらでもある。。。











主体は~~誰なんですかあ??。。。(*´ω`*)

過去のお話なんですが・・・






いつもお仕事、私事でもそうなんですが、、、主体は誰であるか、なんて考えていた時がありましたね。






自分に拘わる人々すべての方なんですけどもね。






自分の頭の中で考え付くくらいに(笑)






そんなことにふと気づかされることがありましたね。






自分が主体であることは分かってはいるのですが、ふと、そういう方々を主体にして物事を考えていたことがあるな~~と。。。






そういう風に考える時は、自分以外の外側の人たちの価値観を自分を主体とした価値観と同等にして考えていたということ。。。






そういう時は、やはり息苦しくなるのも当然の事。






自分の価値観があってこその自分なのですが、周りの価値観を自分のものとして置き換えた時に、それを良しとするのですからね。。。






本来の自分というものをそういう時は失くしていたということに繋がりますね。。。






その息苦しさがあるからこそいいんだ、という無理やり自分に押し付けて、他人の価値観でかくそうとしていたことになるんですね。






そういうことを考えている時、主体を外側の人たちにし続けていると、自分の全てがわからなくなりましたね。






そういうことに気づいた時は、そこから主体を自分にすればいいんだ、と何度も何度も考えたことにきづいていたのです(笑)






あくまでも自分の人生ですから、自分が主役であるわけです。






主体が自分以外である時は、認めてもらいたい、自分に向いていてほしいなどの願望があるからなんですよね。。。






自分という者が完成しているのに、それじゃあ愛されていないとか、受け入れてもらいたいとの思いがあったからなんですね(笑)














< 2025年05月 >
S M T W T F S
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最近の記事
QRコード
QRCODE
※カテゴリー別のRSSです
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 1人
プロフィール
soara
soara